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束縛 高倉健 柿原徹也

束縛 高倉健 柿原徹也

本文 - 過剰正義はおっぱいについて問う(福本丸太) - カクヨム

 直前までは、本当に平和な教室の風景だった。

 授業を二つ終えての休み時間は昨日観たテレビやネットの話題も落ち着いて、少し静かになったところだった。昼休みを待つ倦怠が漂う時間。それが突然破られた。

「お前はそのおっぱいの貧しさについて迫害を受けているのか?」

「死ね」

 廊下側の窓から乗り出してきた顔面に正拳を叩き込む。着席した状態からとっさに足を開いて強引に放った割りに手応えは重く返ったにも関わらず、廊下で派手に転がる音が止まるとすぐに首は同じ位置に戻ってきた。

「聞こえなかったか? ナオ、お前はそのおっぱいが――」

「指を差すな指を」

 人差し指を握って逆へ曲げるとぐっと力んで我慢の顔になる。顔への打撃だって鼻の頭を赤くしているくせに、とんだ頑固者だ。質問を取り下げる気はないらしい。

 洞貫(ほらぬき)幸平(こうへい)。コイツはそういう奴だ。家が隣で去年この高校に入学した今までの長い付き合いでよくわかっている。容姿も内面も含めて、今更改めて確認するまでもない。

「ねえコーヘー、どういうつもりか知らないけどさ」

 指を離して一旦解放し、大きく振り上げた足を落として首を膝裏で押さえ机に貼り付けにする。断頭台の格好だ。罪人は腰が窓枠に引っかかって浮いた状態なので抵抗できないけれど、暴れたら見られそうなのでスカートに手は添える。

「アンタは一度言い出したら聞かない奴だ。オレも一応話だけは聞いてやるぜ」

「話をする姿勢とは思えない」

「これ以上譲歩はしない。嫌なら叩き出すけど? こっちはそのほうがいいんだ」

 さっきまで一緒に話していた友達は遠巻きにこっちの様子を見守っていて、教室全体から様子を窺っている気配を感じた。

「あのなあ、普通ならそういう話題は口に出さないもんなんだ。男子だけでやってればいいだろ」

「俺はただ、おっぱいが小さいという理由で責められたり不利を強いられることが現実にあるかどうかを知りたいだけなんだ。それなのにナオも同じか。自分のことを『オレ』なんて呼ぶお前でも他の女子と同じように口を噤むのか」

 わけのわからないことをのたまいながら力んでいる。見るからに真剣そのもので、残念なことに実際真剣なので始末に負えない。

「コーヘー、それ他の子にも聞いたの?」

「バカな! 誰彼構わず聞くものか。きちんとおっぱいを見定めた。適切におっぱいの小さな女子だけを選び、根掘り葉掘り話を聞きだそうとした。なのにだ! 誰も、何一つ答えようとはしなかった。なぜだ!」

 バンと机を叩き、熱の篭った力説はまるでこちらを非難するかのような調子を孕んで刺々しい。何を考えているのか。

「そんなの当たり前だぜ。誰だって『バカにされた』って思うさ。それで、何があってそんなこと始めたんだ?」

 一応話は聞くと約束した。そうしなければ自然には止まらないという体験上の学習成果でもある。

「俺は恥じる。今日この日までまったく知らなかった。この世におっぱいの大きさで思い悩み苦しむ存在があることを、そういう悲しみがこの世に満ちていることをだ!」

 たまらず、という風に勢いを増して話し始める。駆け込んで来た時点で薄々感じ取ってはいたけれど、どうやらまた〝病気〟が始まったらしかった。

 コーヘーは昔から差別や不平等を嫌う。これまでにも何度か発症したが、その度大騒ぎになった。

「教室で雑誌を読んでいる連中がいたんだ。そいつらはアイドルの水着グラビアを見て、最初は誰が好みだとかそういうような、平和的に話をしていたんだ。ところがだ! 会話の内容はおっぱいに移った。個人の人格は排除したおっぱいの大きさ! それのみにおいて語りだしたのだ。果てはCカップ以下は人間じゃないとまで言いだした」

 まあ、稀にある光景だと思う。

「俺の心は悲しみで溢れて全員ブッ飛ばした」

 ホラ、病気だ。

「なあナオ、そんなに辛かったのならどうして俺に相談しなかったんだ?」

「あ、もうオレ思い悩んでいるグループに入れられてるわけだ? とりあえずその同情顔やめてくんない?」

「人に非ずとまで言われているのに、お前はどうしてそう気丈にしていられるんだ。底無しの精神力には驚嘆するが、耐えられることがそのまま耐える義務になるわけではないぞ」

「一応言っとくけど、そんなことないから。その連中も場のノリでそんなこと言ってるだけで、深刻に人権無視したいわけじゃないはずだぜ?」

「俺の前では隠さなくていいんだ。傷つくことに怯えなくっていいんだ」

 まるで聞く耳を持たれなかった。腹の立つことに優しい目で語りかけてくる。

 どうやら既に虐げられ卑屈になっている社会の被害者として認識されているようで、自分で否定しても無駄らしい。

「無理をせずに俺に甘えろ。幼馴染じゃないか!」

「あのねえ……。幼馴染って言ったって校区が同じこの辺のみんなは全員そうで、私たち二人が特別ってわけじゃないぜ? 第一、コーヘーが言ってるのはドラマとかに出てくるような、部屋が向かい合ってて屋根伝いに移動できるようなそういうのだろ? うちはほら、間に畑があるから畑馴染みだ」

 〝隣〟とは言っても我が山切(やまぎり)家とコーヘーの洞貫家は並び建っているわけではない。祖父が趣味で世話をしている畑が間隔を広げている。道楽の農業ではあるものの年季が入っているだけに出来はそれなりで、枝豆やスイカと言った目先の欲に忠実な作物が季節毎に収穫される。週末にはまた手伝わされることだろう。

「とにかく、その話はもう忘れること。いいな?」

「何故だ? 目を逸らしても問題は在り続ける、涙は流れ続ける。そんなことを誰が許す? 俺は許さない。絶対に壊してやる。ナオも泣く立場にいるのだから、そうやって隠蔽することで奴らに加担せず俺に協力するんだ」

 既に「存在しない敵」をかなりのところまで完成させてしまっている。

「奴らって誰だ奴らって。あと勝手にオレのことカテゴリ分けしないでくんない?」

「違うとでも? なあナオ、お前は自らのおっぱいについて少しも、そのおっぱいほどに僅かな悩みすら抱えていないと無い胸を張って言えるのか?」

「それは――」

 思わず言葉に詰まった。悩んでいる、その点に関してだけは図星だ。

「そうか……口止めされているんだな」

 強張る顔で呟くのを声の深刻さを聞いて、しまったと思っても取り返せない。事を荒立てずに済ますにはなんとしてもここで「無い」と断言しなければならなかったのに。

「違うそうじゃなくて――」

 動揺してしまった。無理に体を屈めて顔を近づけたせいでバランスが崩れ、足が浮いて拘束が緩んだ。首はすかさず抜け出して窓の外に消える。

「もう何も言うな! 俺が必ず救ってやるからなああああ!」

 絶叫が小さくなっていく。慌てて窓から飛び出してももう廊下に姿はない。教室まで追いかけようとも思ったが、間が悪く休み終わりのベルが鳴ってしまった。

 教師に咎められて教室に戻りながら、災難が避けられるよう祈った。あのバカが動き出した以上それはないとわかっていながら。

 ◇

 最初の変化は昼休みに入ってすぐに起きた。

 食事の前にトイレを済ませてから戻ると教室の入口にあまり面識の無い女子が集まっていた。不思議には思っても大して気に留めることはなく、なにしろ自分の教室なので中へと入る。

 いつもならこの時間にはいくつかのグループに机を固めてそれぞれ弁当を広げているはずが、今この時にはまったく異質の風景がここにある。女子ばかりが壁に沿って並び立ち、机は片付けられ、不穏な空気が漂う怪しい集会の様相を呈している。

「あっ……これって」

 全員、胸が小さい。

 そのことに気が付いて逃げ出そうしても、既に出入り口は塞がれ丸く囲まれていた。

「この統率力――さては!」

 壁となった列から進み出てきたのは案の定、万畳(まんじょう)千爽(チサ)だった。凛々しいまとめ髪は足が進む度さらさらと揺れ、細い顔立ちに並んだ切れ長の眼がじっと無感情にこっちを見る。射抜かれている。

 場が動くと壁役が騒ぎ始めた。

「なんなのよアイツ!」

「早くあんなことやめさせてよね!」

 憤怒や悲痛、いろんな感情が混ざっている。動転から少し冷め落ち着いて見回してみると、壁になっている女子たちの表情はそれぞれバラバラだった。怒りで私を睨みつけている女子もいれば泣き顔で俯いている女子もいる。共通しているのはこちらを責める意思。

 千爽がすっと片手を挙げると喧騒が静まった。本来自己主張が強いわけでもない彼女が進んで前に出るのは身長順に並ぶ時くらいだが、他人がこうして従属する理由はそれに足る信頼があってのことだ。

 この集団の代表として現れたのだから、また頼まれごとがあって解決に乗り出してきたということだろう。そういう性格だ。

「え~と……何の用?」

 この時点で見当はついていたが、敢えてしらばっくれてみた。

「用も何も――」

 とぼけた態度が着火してしまったか、眉を吊り上げた千爽に鼻先へ指を突きつけられ、つい腰が引ける。彼女に尖った物を向けられるのは恐怖でしかない。

 しかし浴びせられるはずだった言葉は、発する前に教室の外から聞こえた声によって遮られた。

「おっぱいに平等を! 誰も傷つくことのないおっぱい社会を獲得する為に立ち上がれ! 虐げられし者どもよ!」

 大騒ぎしながら廊下を走り去っていったのはコーヘーだ。休み時間に問答した時点で予想していたその行動でそのまま、「こうはなりませんように」と恐れていた悪夢がそのまま現実になっている。

「あれはどういうことよ!」

 表の騒ぎを聞いて、顔を赤くした千爽がプリントを突き出した。受け取るとそれは「あなたのおっぱいについて問う」という表題で、内容はアンケートになっていた。最初の質問は私がコーヘーから受けたものと一致している。

「『あなたはおっぱいの大きさで、他人から差別されたり不当な扱いを受けたことがありますか?』……うわあ、ひどい」

 大々的なセクハラだ。

「洞貫くんがこれを配っていたわ。『万畳さんには特に』とか言って! 私にだけ三枚も! 『備考に裏の白紙も使っていいから』って私がどんだけストレス溜め込んでると思ってんのあの男! ムキー!」

 いきり立つ千爽はプリントを両手に持ち交互に突き上げるながら小さく飛び跳ねているが、その胸元は揺れるどころか一切の存在を感じさせない。そういう意味でも間違いなく彼女はこの集団の代表だった。代表ではあっても代弁にはならない生の声だ。

 居たたまれなくなって目を逸らすと、周りの女子たちも同じプリントを持ってこちらへ見せ付けている。被害は既に学校中に広まっていると考えてよさそうだ。

「あいつ、こんなプリントどこから? 今日あいつのクラスってパソコンの授業あったっけ……。あ、これ手書きだ! うわ、手書きで何枚用意したの、怖っ!」

 授業中必死にこの文書を大量生産するコーヘーを思い浮かべると眩暈がした。

「それ、一番下を読んでみなさいよ」

 千爽に言われて最下段に目をやると、そこには「記入したアンケートの提出や本件に関わる相談は洞貫幸平か山切奈緒まで」と、自分の名前が書かれていた。

 眩暈が増し全身の毛穴が開いて寒気に襲われる。知らない間に共犯者にされている。

「いや! オレこんなの知らないって!」

 両腕と首を全力で振って無実をアピールする。千沙も囲む視線も冷たく白い。まったく信じてもらえない。一体どうすればいいのか。

「おーい山切、いるかー?」

 声と共に閉め切られていた教室の扉が開き、女子の壁が割れて教師の姿が現われた。

 コーヘーのクラスの担任教師、旗先生だ。何事にも投げやりな性分の若い男性教師で、教師としての情熱を欠片も持たない分くだけた付き合い方をするので生徒からの人気は割と高い。

「お、なんだこの集まりは。男は入っちゃいけない花園聖域か? ピンク&ローゼスっていうより黒魔術だな。山羊の首はどこだ? それとも女子だけ保健室に呼び出される卑猥なやつか?」

 籏先生は面食らってあとずさる動きも白々しく、いつものどこを見ているのだか判然としない眼差しと他人を小馬鹿にした薄笑いで教室を見渡した。

 こんな腐ったクズのような教師でも教師は教師だ。この場では希望になる。なんとか助けてもらうべく手招きで呼び寄せようと挙げた片手と作り笑顔は、彼が肩に担いでいるものを見て思考が凍った。

 コーヘーだ。ロープでぐるぐる巻きにされて失神している。

 とりあえずこの場を切り抜けるつもりでいたのに、張本人が召還されてしまったらそうはいかない。ここが現場になってしまう。

「ああ、コイツ? 階段の影で女子に袋叩きにされてるのを先生が保護したんだ。死んでないから安心しろ。あとで竜宮城に連れて行ってもらわないといけないし」

 床に放り捨てられた衝撃でコーヘーが目を覚ますのを見て、顔を蹴り飛ばしもう一度気絶させるべきか迷った。ここで打ちのめして「悪は滅びた!」と宣言することで問題が終息するならいっそそうしたい。でもコーヘーはきっと耐える。

「イツツ……おお、見事な円形だな。巨乳連中が並べばこうはいかない。よくぞおっぱいに恵まれない者ばかりこれだけ集まったものだ。決起集会か? 俺が活動するまでもなく既にこうした地下組織があったということか! なんと都合がいい」

 地面を跳ねて周囲の様子を確認したコーヘーは周囲から迸る殺意にも無頓着に、事態を歓迎している。

 決起集会という見方は正しい。ただしそれもたった今裁判もしくは処刑場に今切り替わったところだ。

「そんじゃ、落し物は持ち主に届けたからな」

 旗先生はそう言って去ろうとする。ここでコーヘーの監督責任者のような立場を押し付けられるわけにはいかない。

「籏先生! コーヘー――洞貫くんが作ったプリントについてですが」

「そのことだがな山切、キミがこの問題の担当になれ」

 自分の無関係性を示すつもりが嵐の中に叩き込まれた。

 言葉も出ずに固まっていると旗先生はニヤニヤ笑いながら続ける。

「言っとくがアンケート用紙にキミの名前が書いてあるから言っているわけじゃあない。本当に共犯者だと思っていたら任せはしないさ。ここにいる奴らが何を目的に集まったかは知らん。だが例えば、こいつらが洞貫にこっぴどく説教したり足腰立たないくらいにボコボコにしたとして、それでことが収まるとキミは思うか?」

 私はすぐに首を振った。

「思いません。コーヘーは体が動くようになったら、口が利けるようになったら、またすぐに同じことを始めます。絶対です」

 それだけは確信している。そもそも他人に尽くしているつもりで動いているんだから、自分が痛めつけられても止まらない。『ますます助けてやらなければ』と決意を固めるだけのことだ。

 返事を聞いて旗先生は満足そうに頷いた。

「そう、この問題を最も問題視できるのはキミだ。だから一任する。適宜最良に計らい万事丸く治めろ。この場にいる奴は全員それを聞け、そして結果に納得しろ。この件は彼女、山切菜緒に預けて、必要な協力を惜しむな。解決したいと思っているならな」

 周囲はザワついている。千爽もどう反応していいか戸惑っているようだ。このあまりにも堂々とした丸投げに。

 見下ろせば酸素が無くとも燃える炎、不要善の過剰正義が満足そうに笑っている。

「ナオ、お前が仕切ってくれるなら心強い。共に自由と平等を勝ち取ろう!」

 コーヘーはここで取り上げられているのは自分の行いではなく、胸のサイズによる不平等のことだと思い込んでいる。

「それにしても、お前が責任者に選ばれるほど一番悩んでいるとは知らなかった」

「……わかりました」

 心に詰まった想いを捨てるつもりで大きくため息を吐く。

 間に畑があるという程度では幼馴染を防げないらしい。

 ◇

 当面単独での活動は控えるよう言うと、コーヘーは殊勝な態度でこれを承諾した。

 コーヘーにしてみれば自分で動かなくても差別の根絶が行われると信頼してのことだろう。

 ところがこちらにその気は無い。しばらく時間が経ってそのことに気がつけばコーヘーはまたすぐに暴走する。

 だったら一応は、なにかしらの形で取り組まなければならない。そうはわかってはいるけれどしばらく忘れておきたかった。せめてこの昼休みの間くらいは。

「ナオ、何か俺に手伝えることはないか? 実態調査の結果を提出できたりしたらいいんだが、アンケートはまだ一枚も返ってきてないんだ。みんな本腰を入れて回答してくれているんだな」

「いいから約束通り大人しくしてて」

 窓枠にへばりつくコーヘーを追い払い、弁当箱を持って席を立つ。何はともあれお腹が空いた。

 既に教室の様子は千爽率いる貧乳一党から解放され普段の風景に戻っている。各々机をくっつけ合ってグループを形成しての食事風景――のはずが、私がいつも集まる位置は空白だ。

 不思議に思って見回すと仲の良い面々が教室を出て行こうとするところだった。

「あれ? 今日違うとこで食べるの?」

 声をかけると教室全体に戦慄が走る。和やかな食事風景が一瞬にして切り替わり緊迫感で満ち満ちていく。食事の手もおしゃべりも止まった。

 教室内はそうでないようでいて凍て付くほどの視線で注目されている。包囲状態はなにも変わっていない。

 そして警戒は今教室を出て行こうとしていた友達へも向けられている。

(いいから行って、逃げて!)

 口に出すわけには行かず視線に願いを込めて念で背中を押すと、それが通じたか単にこれ以上ここにいるのは危険と判断したか、そそくさと教室を出て行った。

 一瞥もくれなかったことは少し寂しいけれど、それでいい。悪く思ったりはしない。もしそんなことをすれば彼女たちまでが攻撃対象になっていただろうから。

 この教室にとって異分子になったことを自覚して、弁当箱を持ったまま教室を出てひとり廊下を歩いた。このまま教室に戻らなければいいかというとそういう話でもない。

 普段生活す中で得る感想としては、この学校は千爽サイドの女子生徒が圧倒的に多く、つまるところこの学校に逃げ場は無い。

 なら逆側が味方かというとそうもならない。個々人が感じているだけで済んでいたコンプレックスがコーヘーの活動に刺激され対立構造として表面化させられている。廊下ですれ違う男子たちがこの騒ぎにかこつけて「誰の胸がでかい」だのと堂々話をしているように、触れてはいけない聖域にスポットライトが当てられてしまっていた。無為に比較されるこの状況は誰に取っても迷惑この上無い。

 校内に居場所が無くなった。弁明の機会も無い。毎日が便所飯だ。味方はそれこそコーヘーだけになってしまうが、それを認めれば誤解であったはずの共犯の濡れ衣が真実になる。

 脳裏にへらへら笑う旗先生の顔が浮かんだ。

 納得しなければならないらしかった。この馬鹿な騒動が終息するまでの間、誰の掌の上であろうと踊ち続けなければならない。一刻も早く平和な学校生活を取り戻す為に。

 ◇

 早速昼休みのうちに行動を始めた。

 旗先生に申請してレクリエーション室を借り〝コ〟の字型に連結させた長机の右角、議長側の端に陣取って咳払いをする。

「えー……本日皆さんにお集まりいただいたのは、本日騒がせたコー――洞貫くんを発起人とした会議に参加していただく為です。進行役を勤めさせていただきます、山切です。よろしくお願いします」

 「司会」の表札を持ち上げて見せる。こうやって、当事者ではあっても根源ではないと極力アピールしていきたい。あくまでも解決に協力しているだけなのだと。

「続いて議長を紹介します。旗先生」

 隣の席には籏先生が腰を前にずらしだらしなく座っている。憮然とした表情でいかにも不服そうだ。押し付けようたってそうはいかない。議長と司会で役割が被っていることなんて知るもんか。

「旗先生、一言どうぞ」

「いるのか? その段取り。まあいいけどな。あの場にいる全員が協力するように言ったのは先生だ。確かにあの場にいたのからな。嫌々ながらキミに協力するよ」

 旗先生の役割は「わかりやすい責任者として非難の的になること」なので、とにかく同席してさえくれたらそれで充分。

 求めてもいないのに反対の角が騒ぎ始めた。

「書記を務めます洞貫です! 本日はよくぞお集まり下さいました! この話し合いが終わる時には谷間と壁を隔てる溝が埋まっていると思うと楽しみでなりません!」

 不愉快なことに溌剌としている。何を笑顔を輝かせているのか、と憎く思う心すら芽生えた。

 コーヘーを書記に据えたのはこの会議の内容から目を逸らさせないという目的あってのことだ。現実には両者の間に対立などはなく、どちらかが虐げられているような事実もないことを知らしめ思い込みを払拭させるにはこれが最適となる。自分で司会をするのは自然とそうなるようコントロールする為だ。

 コーヘーの挨拶はなぜか続いた。

「会議に先立ちまして、まずはこのような場を設けてくださった旗先生に感謝致します。それと忘れてはいけない、我が幼馴染――山切菜緒にも。よかったな、ナオ。これでもう二度と苦しまなくていいんだ」

 この際好きに言わせておく。ここが一番苦しいのだと説明したところで理解はしてくれない。

「なにを……なにをさっきからわけのわからないこと言っているんですか!」

 ヒステリックに椅子を蹴って立ち上がったのは〝コ〟の字の上側、こちらから見れば右翼に位置する万畳千爽だ。一度代表に立った立場として彼女にどう終局したかを見届けてもらわなければならないので参加してもらっている。

「呼び出されたからにはやっと洞貫くんが謝るんだと思ったのに、はぁ? なにコレ! ふざけてんの?」

 吊りあがった目元はピクピクと震え、既に相当なところまでヒートアップしている。部活に向かう途中を捕まえたので机に立てかけられた竹刀の存在が非常に恐ろしい。いつでも怒りに任せて抜き放てる位置にある。

 会議の趣旨を正直に伝えたら参加してもらえない。そう思ったのでよくわからないままここへ連れてきている。なので出だしで引っかかるとわかってはいたが、これほどまでの怒りになるとは想定外だった。この会議が狙い通りに進めば千爽の願いも叶うはずが、このままでは彼女自身にその機会を潰されてしまいそうだ。

「ね、ねえ千爽? ちょっと落ち着いて」

「私が落ち着けば真実が変わるの? 早く説明しなさい!」

 詰め寄ってくるあまりの迫力に引けた腰が戻らない。こんな彼女は見たことがなくて、身近な同級生というより今地面を割って現れた鬼か悪魔だとしたほうが信じやすい別人ぶりだ。

「キミが友達と喧嘩をする会じゃないことくらいはわかっていてもらいたいね」

 千爽の怒声を制してハッキリ、旗先生の声が響いた。生徒が起こす騒がしさには慣れているということか、臆することなく堂々と――かと思いきや首を曲げ視線をよそへやってどうでもよさげだ。

「じゃ、会の開催に先立って議長として先生から一言言わせてもらおう。発言は着席して手を挙げて指名されてからどうぞ。小学生じゃないんだから、こんなこと言わせるな恥ずかしい。わかりましたか貧乳派――いや貧乳そのもの、万畳さん」

 千爽は食いしばった歯を剥き出して苛立ちを現し、呪い殺さんばかりに旗先生を睨みつけた。それから自分の席に戻ると自分の前に置かれた「貧乳」の三角柱を叩き潰し、それでも理性を捨て去ることなく殊勝に手を挙げる。

「はい、菊水さん」

 ところが、議長の旗先生が指名したのは別の人物だった。

 一瞬、千爽の髪が逆巻いて邪悪な何かが吹き上がったように錯覚したけれどそれもすぐに落ち着く。怒りを抑えて目を閉じる辺り、彼女は辛抱強い性格と言える。その姿は私にとても深い好感を持たせるけれど、そのせいで彼女は損をするだろうから不憫にも思う。少なくともこの場においては。

「まあアタシも、山切サンに呼ばれたから来たんだけどサア」

 菊水美朱(きくすいみあ)。「遊んでる感じの女子高生」を思い浮かべればそれがそのままそこにいる、そんな風な子だ。態度の軽薄さで言えば旗先生とタメを張る。

 彼女は〝コ〟の字の下側、千爽と相対する左翼は当然「巨乳」サイド。当然自身がそれを証明するシンボルを持っている。指名されてただ立つだけの動作で揺れること揺れること。

 旗先生のどうでもいい名誉の為に敢えて言うならば、彼女は千爽より先に手を挙げていたので発言権が先に渡ったのは正当なことで、旗先生がひいきや嫌がらせをしたわけではない。

「万畳さんの人権を保護したいってワケならアタシ、ココいなくていーんじゃね?」

「私個人がどうこうって話じゃないでしょ!」

 とうとう自制を切らした千爽がまた机を叩いて立ち上がった。反対に菊水さんは椅子へ腰を戻して身体を斜めに崩して髪をいじり始める。

「違うっつーならそんなリアクションしなくてよくね? 別にいーんじゃん? 守ってもらえばあ?」

「私はあなたたちより弱いわけじゃない。守られる必要なんか、無い!」

 今でこそこうして激しく対立はしているが、今まで学校生活の中で千爽と菊水さんはいがみ合うような仲ではなかった。というか関りがなかった。それをムリヤリ向き合わせた元凶はニコニコと笑いながら状況を見守っている。

「そういう意識の違いを埋めることがこの会議の目的なんだよ。いいぞ、早速活発に意見が交換されているな」

 余計ないがみ合いを自分が生んでいるという認識は微塵も無い。

(こいつは本当に……)

 怒りを噛み殺し、深呼吸を一往復してから腰を上げる。

「議長、参加者に快く協力してもらう為に少し時間を貰ってもよろしいでしょうか」

「どーぞ、副議長」

「司会です」

 咳払いをして間を整えるつもりが、千爽と菊水さんに注視されてつい緊張し、ただ空気を吐いただけになった。

「えとえと……ここに集まってもらった目的は、誰かが誰かに謝罪する為でも誰かを弱者にする為でもなくて、胸の大きさで差別とか対立なんかしてないことをこの書記に証明し、納得させることです」

 隠しておくつもりが、動揺してかなり正直なところを打ち明けてしまった。

「なにわけのわからないことを言ってるの。洞貫くんに今朝みたいな行動をもう二度と取らないようにしてもらえたらそれだけで結構なんだけど」

 千爽の視線に込もる敵意が極度に強くなった。数歩先にいて鼻先に迫っているかのような迫力を感じ、怯みを表に出さないよう体を固める。ここはそういうことをする場ではないと頑として示さなくてはならない。

「だ、そうだけど?」

 手のひらを示して発言を促すと、コーヘーは椅子の上で組んでいた足を下ろして前のめりで意気込んで見せる。

「そう意固地にならなくても大丈夫だ。絶対に俺が助けてやる。ナオもな、もうごまかそうとしなくていいんだ」

 思い込みを何一つブレさせることなく力強く言った。もう呆れもしない。

「この通り、既に弱者だと思われて人権保護も発動してる。だからそんな必要は無いとわからせる為のこの会議です。今朝みたいなことをしてほしくないってところは千爽の希望と同じだから、お願い協力して」

「そんなの、言ってやめさせればいいじゃないの!」

 千爽の怒りは更に強まった。

 まったくその通りだと思う。しかし説いて叩いて言うことを聞かせられたらの話だ。

「だ、そうだけど?」

 もう一度コーヘーに手のひらを見せるとにんまり笑顔さえ返ってきた。

「明日世界が終わるとしても、俺は今日おっぱいについて問う」

「こういうわけ。わかった?」

 これにはさすがに千爽の口が開いたままで止まった。

「こうなった洞貫くんは絶対に止まりません。そこはもう崩せない前提として理解してください。『もうやめて』と思うなら、この馬鹿を納得させるしかないんです」

 何が原因でこうも厄介な性分に育ったかはわからない。しかしこうした騒動が今までにも何度か起きていることは事実だ。

 最も大きいのは小学校での出来事だろう、その時コーヘーは「学校でうんこをしてはいけない」という風潮と戦った。

 教室最寄のトイレが故障し、仕方なく上級生の教室が並ぶトイレを使ったコーヘーは水をかけられズブ濡れの状態で戻って来て今日と同じように私に確認した。「うんこをするのは悪いことなのか」と。

 返事に困っていたら「そんな馬鹿な決まりがあってたまるか」と勝手に怒り出し、すぐさま行動に出た。休み時間の度に「うんこしてくる」と大きな声で宣言しては校内のトイレ個室全て(職員用、女子トイレも含む)で実行していった。変態だ。

 最終的に下剤を大量服用し病院へ担ぎ込まれ胃を洗浄される事態にまで発展したことで、学校側も対策を取るようになって結果コーヘーの願いは叶った。今でもその小学校では「堂々とうんこをする文化」は根付いているらしい。

「協力って言うけどね、アタシになにしてほしーワケ?」

 傾けた体を肘で支える菊水さんが髪をいじりながら呟いた。気の抜けた態度は頼りなくはあるものの千爽の何倍も柔和ではある。

「基本的には胸の――小さな人が迫害されている事実は無いってことを実証していくことになります。具体的には洞貫くんの疑問に答える形で、大きかろうが小さかろうが平等だって納得するまで、何度でも繰り返し」

「んじゃあ、アタシは胸が大きいことで得したり、胸の小さい奴を見下したりしてないってことを言えばいいワケだ」

 易々とこちらの意図を汲んでくれて拍子抜けした。

「なに? デカパイだから馬鹿だと思った?」

 心の内が顔に出てしまっていたらしい。コーヘーに凝視されていることに気づいて慌てて首を逸らし顔を直接撫でて無表情に整える。少しでもどちらかに偏見があると思い込む材料を与えるのはまずい。

「とんでもない! 協力してくれてありがとう」

「は? まだ協力するなんて約束してないケド」

 思わずつんのめるような肩透かし。

 会議の参加者を集めるに当たって「胸の大きな女子」と真っ先に思い浮かんだのが彼女だったものの、これは人選を間違ったかもしれない。

 もし彼女がこの騒動を利用して自分たち「巨乳」サイドが得をするように運ぶつもりでいたら? そうなら彼女は邪魔になる。

 実を言えば菊水さんについてはよく知らなかった。比較的男子と一緒にいることが多く、そうでなくてもどんなグループにでも入って行ける気安さと社交性を持っている。そのくらいだ。今回のことについては千爽と同じように迷惑に感じているとばかり思っていたのは早とちりだったか。

 対して千爽のことはよく知っている。なにしろ彼女は剣道部で、空手部と同じ武道場を使うから接点も多い。

 千爽は周囲からの人望はとても厚いが、その枠を超えてしまえば目立った生徒ではない。深い付き合いの人間がいる代わりに友達は少ないので予定が合わなければ孤立し易く、そのことで当人は悩んでいたりもする。

 その千爽の様子が違ってきていた。迫力もそのまま眉間は険しいままでいるが、瞳には涙が滲んで恨みがましくこっちを見ている。

「山切さん、あなたのことは同じナイチチだと思って気を許していたのに……。日陰だろうとそこに潜んでいられたら私はそれで良かった。平等なんて望んでも手の届かないものの話なんかされても、惨めな気持ちになるだけなのよ私たちでは。どうしようもないから気にしないようにしていたのに、どうしてこんな不毛なことをさせるの」

 さっきの怒りといい、また見たことがないこの反応にぎょっとした。まさかこれほど暗いコンプレックスを抱えていたとは。この流れはマズイ。

「えっとあの……いつもみたいにちゃんと『ナオ』って呼んでよ」

「黙れ空手バカ」

「うわ、そんな風に思ってたの」

「『貧乳仲間』だと思っていたわよ。なのにどうして同じ苦しみを持つナイチチ同士で争わなくちゃあならないの?」

「オレだって別にあんたと争いたいとは思わないけど」

「その言葉が真実なら、私と同じ卓に着きなさい! じゃなきゃおかしいでしょう!」

 千爽は潰れた表札の〝貧乳〟席を指差す。

 それは乗れない誘いだった。そこに座るとなると司会の任を降りなければならない。

「お願い、わかって。とにかくあいつを納得させないことには終わらないの」

 切実に訴えながら、慈しみの笑みでこちらを見守っているコーヘーを指差す。

「ほら見て、あの馬鹿『被害者一同』って目で見てやがるんだから」

「被害って何? 私やあんたや他の誰かが『助けて』って洞貫君に言ったの?」

「だからあいつは酸素が無くても燃え続ける自律した天秤秤なの。火の無いところにマグマを見るのよ」

「ううっ……じゃあなに? 『私たちはいじめられてません』なんて話を真面目にしないといけないの?」

 涙目で懇願するように見つめられ、ぐぅと奥歯を噛んで堪える。自分がどれだけ残酷なことをしているかわかっているつもりでいたけれど、直面する覚悟が足りなかったらしい。

「お願い。ちょっとの間我慢して。今度〝シュガーまみれ〟でオゴるから」

 シュガーまみれは最近商店街に加わったスイーツショップで、自然な素材を使ってどこまで甘味を引き出せるかの究極を体験できる実験的な店だ。トッピングが幅広くふざけて注文するととんでもない物が出てくることで知られているけれど、そこを踏まえたうえでの人気でありこの学校の女子にもファンが多い。千爽もそのひとりだ。

「ぐすっ……トッピングは?」

「好きにしていい」

 千爽はしぶしぶといった様子でしょんぼり座り直した。甘味に釣られたということではなくいくらかは友情もあると思う。それだけで報いたことになるとは思わないけれど約束は必ず守ろう。

 これでどうにか話を始められる、というところでまた手が挙がった。

「えーと……どうぞ、豊満高(ゆたかみちたか)くん」

 指名されて立ったのはそう、男子だ。「あらゆる角度からの検証が必要」と言ってコーヘーが連れてきた。確かにどの方向から見ても丸みを帯びている見事な肥満体型で、物理的に事実のみを捉えれば菊水さんを凌ぐ豊かな胸の持ち主と呼んでいい。なので巨乳席に座っている。

 私が直接誘ったわけではないこともあって、どういうつもりでこの会議に参加しているか読めない不安要素と言えた。人間性についてはほとんど知らないけれど、七福神に混じっても違和感がなさそうな見た目通り温厚な人物と期待したい。

「シュガーまみれに行くならコレあげようと思って。僕、年間パス持ってるから要らないんだあ。店長さんは『布教用に』って言って毎回くれるんだけどねえ」

 間延びした声で話す彼が差し出したのは値引きのクーポンだった。

「え? あ、ありがと……。わっ、助かっちゃった」

 予想外のことに拍子抜けしてしまい、前へ出てクーポンを受け取るだけのことにわけも無く動揺してしまう。

 豊くんはそれが済むと椅子に悲鳴を上げさせて元の席に座る。会議に参加しようとして手を挙げたわけではなかったようだ。

「もういいか? 落ち着いたんならそろそろ始めようや」

「あ、はいどうぞ」

 議長、旗先生のうんざりした口調に短く返事をして視界席へ戻り、背筋を伸ばす。そうすると一時抜けた緊張が戻ってきた。

 ふざけた内容ではあるけれど、こうした会議の場に要職として参加するのは初めてのことだ。どうしても力みは生まれる。

「それじゃあ〝膨らみ会議〟を始めます」

 議長の開会の号令に寒気を感じ肌が粟立った。抱えていた決心もなにもかも吹き飛ぶ。

「センセ、それセクハラ」

 菊水さんは陽気にケラケラ笑っている。

「そう言うけどな、このテーマでどうやってセクハラを回避しろってんだよ。〝対決! 巨乳VS貧乳〟にするか? まんま〝おっぱい会議〟にするわけにもいかんだろ」

 そう話している間にコーヘーがホワイトボードにでかでかと〝おっぱい会議〟と書いてしまっていた。

「あー……書いちゃったか。書いちゃったんなら仕方ないな。じゃ、おっぱい会議を始めます」

 疲れて文句を言う気力が湧かない。千爽も同じ気持ちのようだ。机に突っ伏してぐったりしている。

「……ではまずはこちらの資料をどうぞ」

 気が散っている間にコーヘーが参加者にプリントを配り始めた。慌てて追って立ち上がる。コーヘーに自由な行動を取らせるのはとにかく危ない。

「ちょっと、勝手なことしないで! あんたはただの記録係なんだ」

「ああ、わかっている。この会議を催したのは旗先生で、仕切るのはナオだ。だがそうは言っても発起人は俺だ。少し口出すくらいのことはさせてもらっても構わないだろう? 何が正すべき問題かを明確化させる、議論の前準備くらいは」

 確かにそうだ。現状では、具体的な事柄を挙げて一つ一つコーヘーの言い分を潰していくのが最も有効と言える。

「それは……そうだね。怒鳴って悪かった」

 私はコーヘーを制御することに固執し過ぎているのかもしれない。大切なのは本人が自分で気付くことだ。そう思い直して私もプリントを受け取った。

「アンケートの結果を集計した資料で、おっぱいの大きさの違いでどういう意識が働くかが明らかになっている」

 コーヘーが配って回ったプリントなら、受け取っても千爽のように怒るのが普通の反応なので誰もまともに回答していないはずだった。その集計だと言う。

「え、なんでそんな資料ができて……って、うわぁ」

 目を通して目眩がした。確かに胸の大きさに関するアンケートのその集計結果に違いない。ただし、男子向けの。知っている他にもしっかり活動していたらしい。

 質問:異性のおっぱいについて、大きいほうが好ましいですか? 小さいほうが好ましいですか?

 回答:大きいほうが好ましい 61%

    小さいほうが好ましい 59%

(おお! ありがとうみんな!)

 思いの他、反論してねじ伏せる好機が訪れた。男子たちの良識に感謝する。

「ほら見なさいこの数字を! ほとんど差が無いじゃない? これこそ平等に扱われているという客観的な証拠!」

 コーヘーがこちらに有利な材料を提出してくるとは想像していなかった。真実を知りたいだけで貧乳が迫害されていると決め付けたいわけではないはずだから別に意外でもないのだけれど。

「こんな結果が出てるなら、特に話すこと無いんじゃない? そうよね? ね、ね」

 ところが、コーヘーの顔つきは納得している風ではない。悔しげに歪んでいる。

「ああ……そうだったらよかったんだがな。この『大きい』と『小さい』の認識が曲者なんだ。次のページを見てくれ」

 促されるままプリントの束をめくる。

 質問:おっぱいはどのくらいが 大きい・普通・小さい と感じますか? アルファベットで表した次の中で普通と思う範囲を丸で囲んで示してください。

 回答:C~Dが普通 27%

    B~Cが普通 25%

    C~Eが普通 22%

    D~Eが普通 21%

    A~Bが普通  5%

『ほら、大体横並び。あんたの取り越し苦労だって』

 そう言えたならよかった。しかしそうするには最後の部分があまりにも残酷過ぎる。

 資料を眺める千爽に目をやれば顔色を変えずにだくだくと涙を流していた。どう声をかけていいかわからない。

 コーヘーは深く頷いて話を続ける。

「そう。万畳さんもショックを受けるように、男の思う『大きくもなく、小さくもない』というサイズは大体C前後ということだ。だが現実はそうじゃあない。なあナオ」

 反論できない。千爽のいる席から嗚咽が聞こえ始めて顔を背けた。

 一人の少女の心を抉りながらコーヘーは続ける。

「アンケートに集約された一般的な男――厳密には本校男子生徒237名のことだが」

「え、このアンケートって投票率パーフェクト? どうせホームルームとかじゃだんまりのくせに、こんな時だけ熱心か!」

「その熱心な男子生徒が一般的に考える、〝理想〟というより〝当然〟なおっぱいのサイズと、現実お前についているそのおっぱいのサイズには深い深い隔たりがある」

「議長! 書記の発言に悪意を感じます! というかどうして書記が喋る!」

「却下します」

 静観していた旗先生に介入を求めたが、どうでもよさそうに小指で耳の穴をかきつつ軽く拒絶された。強く睨むと視線を逸らす。彼は彼で解決を望んでいるはずでも、目的は早く終わらせたいという短絡的なもので真に平和を望んでいるわけじゃあない。

 不満の傍らでコーヘーの弁舌は続いた。

「これは多分だが、おっぱい市場に触れ過ぎたせいだと考えられる。大きな乳を武器に商売をしているグラビアアイドルたちを見慣れることで、そのおっぱいの大きさを当たり前だと感じるようになってしまった。世間がそういう考えになれば市場は影響を受けより高い水準を求める。自ずと所謂『巨乳』と呼ばれるおっぱいのサイズも敷居が高くなっていくんだ。つまり『大きなおっぱいの持ち主がそれを誇示することで、小さなおっぱいの持ち主が立場を悪くする』という図式がここに生まれていると思うわけだが、どうかな」

 コーヘーは菊水さんに意見を求めた。菊水さんは肘をついた腕に顎を乗せたままダルそうに答える。

「アタシは別に商売してるわけじゃないけど、そうだとして、持ってるもの使って何が悪いの?」

「そう、需要を満たす為のサービスが供給発達することは自然なことだ。その辺りは小学校の社会で教わったろう? 経済現象を否定するつもりなのかいキミは」

 旗先生が付け加えると、コーヘーは首を振った。

「そこを無くしても平等にはならない。問題はそうやって誘発される潜在的な差別意識なんだ。具体的には、次のページ――」

 一斉にページがめくられる。私も目をやって、意識が薄れた。

 C以下なんてあり得ない・わざわざ貧乳を選ぶ意味がわからない・男と変わらない・貧乳好きはホモまたはショタ好き。こうした意見が何ページにも渡って続いている。

 悪意の羅列。無記名のアンケートであることをいいことに好き放題書かれている。

「これが巨乳派、かつ貧乳否定派の意見だ。なあナオ、こうした考えがあるというのに、お前はまだ傷ついた心に蓋をして『差別や迫害は無い』などと健気な否定を続けるのか? それで個人の尊厳はどうなる? 悲しくは、惨めには思わないのか!」

 一気に近くへ寄って肩をぐっと掴まれ鼻先で見つめられる。瞳に炎が宿っているように錯覚するほど熱のこもったさまが暑苦しい。他人の迷惑を顧みず燃え盛る不要善は一向に衰える気配がなかった。

「惨めです!」

 突然、甲高い声が響いた。一人突き抜けていたコーヘーのテンションにも届くこの昂ぶりの種類は、悲鳴だ。千爽が資料を握る手を震わせ、苦しげに小さく首を振っている。

「誰かと並んで歩く時、服を選ぶ時。いつも惨めに感じてた。誰かに何か言われる必要なんてない。他でもないこの私が比較するんだもの。意識しないようになんて、できるわけじゃない」

「いやそんな大げさに悩まなくても……だってまだ育つかもしれないじゃない? まだまだこれから――」

「黙れ! 多少なり膨らみがあるあんたに私の気持ちはわからない!」

 慰めようとすると、火がついたように反論をこっちへ向けてきた。

「未来に期待? 私の身長は中学に入る前から成長止まってるの。胸なんて一度だって膨らんだことないんだから、それこそ赤ん坊の頃から変わらないの。ねえ、第二次成長ってなに? 私に教えてよ!」

 詰め寄られ間近に見る泣き濡れた眼は赤く髪は乱れ、ついあとずさるほど真剣そのものの訴えは悲壮にすら感じられる。それでも同じ深刻さで付き合うことができずに戸惑うしかなかった。旗先生に至っては堪え切れずに笑い声を漏らしている。

「ほら見て、このアンケート『万畳なんか特にヒドい』って書いてある。なんだろうね、私の何がヒドいんだろうね。アハハハ! わかってるけどさ、アハハハハハハ!」

 千爽は天井を見上げ白目を剥いて笑い出した。

「しっかりして! ホルモンを、ホルモンを信じて!」

「お前の気持ち、しかと伝わったぁ!」

 無駄に力強い声。付き合える人間が悪いことにここにいた。コーヘーがいつの間にか千爽の肩を掴み手を取っている。

「全てのおっぱいが平等に見なされる社会の構築のため、一緒に邁進しよう!」

「よろしくお願いします! ああ、洞貫さん。優しい洞貫さん」

 あんたたち別にそんな仲良くなかったじゃん。

 数秒、唖然として固まってしまったがそんな余裕は無い。千爽が洗脳されてしまっている。これは困った流れだ。

「ちょっと待ってちょっと待って! そもそもこのアンケートの信憑性が疑わしいでしょ? 男子にとっては全然関係無い心理調査なんだから、フザけてるんだって!」

「たわけェ!」

 邪魔なタイミングで出入り口の扉が勢いよく開いた。枠に激突した音で竦んだ体を回して恐る恐る振り返ると、袴姿の大男が身を屈めて戸口を潜り、レクリエーションルームに踏み込んできた。横目にそれを見た旗先生が舌打ちをする。

「めんどくせえのが来た」

 原天原(はらあまはら)大星矢(だいせいや)。集会で訓話を聞く時くらいしか普段は見かけない、校長先生だった。とにかく豪快な人物で、毎度壇上でマイクを放り捨てて語る生声は体育館窓の暗幕をはためかせる圧力を持っている。威厳を支える体格は大人と変わらないくらい育っている高校生をまさしく子供に見せるほど大きい。

「男として生まれた者が乳に抱く想いを疑うでない! 恥を知れィ!」

 石化した。

「男が乳に対する時、それは己と向き合う時だ。乳に対し真摯に、どのような己でいられるかを通じて己を知るのだ。そこに嘘偽りの生まれる道理がどうしてあろうか? 無論、虚勢はある。想いから舌・手を動かし語る間に本心が隠れてしまうことは起こりえる。だがそれを安易に〝虚実〟と呼ぶべからず。隠れてしまうことまでを含めてが本音なのだ。この世が『これこのような乳が好きなのだ』と憚ることなく口外することのできぬ風潮であれば、ますます持ってこれは詮無きこと。断じて悪ではない! 恥を知れィ!」

 立てば太陽を遮り、歩けば地揺れを起こす。そういう、知的生命体というよりも自然現象に近い我が校の長。和装なのは単にその体格を収める服が一般の店では手に入りにくいので仕立てを頼むことが多いかららしい。特大サイズの専門店で買ってきたと思しき吊りズボンで花壇の世話をしているのを見かけて、蓄えたヒゲとのギャップが可愛いと思ったこともあった。今までに抱いたイメージが無残に崩れていく。

 なに言ってんだコイツは。

「なればこそ、その意見書の伝えるところはまったくの本意と心得よ!」

 体育館を揺らす時のものと変わらない声量は教室という狭い空間に轟き、より大きく感じられた。どこまで届いているのか、聞きつけた生徒たちが廊下に増えつつあるのがすりガラス越しの影でわかる。

「で、でもですね校長先生」

 歯を剥いて威嚇し、ドア枠に張り付いていた数人を追い払うと出入り口を閉めて校長に向き直る。けれど戸を閉めたくらいで校長の存在感は封印できない。野次馬が集まる前に即行で収拾をつけなくては。

「このアンケートで集まっている回答は男子の分だけじゃないですか。迫害する体制が仮にあるとしても、それによる被害が現実に起きてるかどうかなんてこと確かめようがないでしょう? だって女子の回答が無いんだから。女子生徒全部の……胸のサイズなんて知りようが無いし」

「ハイ! 私が被害を受けています! アンケートに実名で攻撃されてます! この――むぎゅぅ」

 千爽が涙声で発する主張を物理的に押さえて黙らせ、制服のリボンで結んで固定する。事態を速やかに収束させる為には粛清も止むを得ない。

「昔は身体測定で胸囲を測るのも当たり前だったんだけどな。今は座高を測らない学校も多いんだって。ここもそうだろ」

「あー、そういや小学校では座高あったっけ? あれなんで計んの?」

 旗先生がどうでもよさげな風にどうでもいいことを呟き、菊水さんがそれを構った。

「胴体の成長が内臓の成長として見られていたんだな。医学的には根拠が無いって言われ始めてからも、やれ『椅子や机のサイズ』だ『席順に配慮する為』だって言って続けてたらしいけど、今現在普及している机も椅子もサイズは調整できないし座席の位置で考えるのは視力くらいだろ? 意味は無いな」

「身長と体重量る意味もわかんないんだけどー?」

「そういうのを調べて統計を取ったら、それがさも重大であるかのように発表することを仕事にしてる連中がいるんだよ。アメリカみたいに平均体重が極端に増加してるとか逆に減ってるとかいう話なら対策の必要もあるだろうけどよ、身長が変わったからってそれで何をするってわけでもねえだろうに」

「地域的な健康を調べるとかはどうかなあ」

 豊くんも無駄話に加わった。身体測定の結果で問題が発覚してもなんの対処も行なわれないことは彼の質量が証明している。

「お、なんか思いつくのかデブ」

「酷いなあ。例えば毒とか成長を邪魔する物質が発生したとか、そういう地域的な変化が起きた時に気付けるんじゃあ?」

「環境汚染にバイオテロ。それを察知する手段としてはトロ過ぎるだろ。子供の成長に影響が出てる段階で手遅れもいいとこだ。もっと他に手段を考えないとな」

「あんたもうバイオテロ受けてんじゃん? 『シュガーまみれ』の糖度汚染」

「これは信仰心の現われだよお」

「ハイそこまで!」

 間に割って入り、人差し指を立てて斜めに振り下ろす。

「話が逸れているので本題に戻ってください。議長は立場を弁えること」

 睨み付けると旗先生はそっぽを向いた。校長は彼にとっても目障りな存在なはずなので排除したい立場は同じはずだが、ここでも積極的な行動を見せるつもりはないようだ。だが自主性を期待できないなら無理矢理尻を叩く。

「いいですか議長」

 旗先生に近付き耳打ちする。

「協力しないと殺す。必殺の空手チョップで一撃だ」

「ストレートだな。平和を望んでるんじゃなかったのか」

「既に起きている戦争の最中にまで平和を唱え続けるつもりはないですね。そういうのは終わってからです」

 旗先生のネクタイピンを摘まんでV字のデザインに加工してあげると気の抜けた顔も幾らか引き締まった。反応に満足して次は校長に体を向ける。

「さあ話を戻しましょう。男子の好みがどう偏ろうと、女子の胸のサイズの統計は取れていないんだから検証のしようがありません。なのでこの資料は議論の題材としては不充分です」

「不足の論拠なら間に合わせがここにある。諸君ら女生徒の発育をじっと見守り続けたこの両の眼(まなこ)がな」

 何を言っているのか理解するには時間がかかった。

「へ――変態!」

 心からの叫びは困ったように寂しげな笑みで受け止められる。まるで駄々を捏ねる子供を見下ろすように。

「花が『花を愛でたい』と想う気持ちを知ることはあるまいが、諸君らは人だ。他者を慮り心中を察することに努めなければならない。だが現在それをできないことで諸君らが負う罪は無い。環境に、制度にこそ問題はあるのだ。自動車学校は自動車について教え導くというのに、教育学校は第二次成長と生徒を心より向き合わせることをしない。このことが問題として取り沙汰されないこの世がどうかしているのだ。のう旗先生?」

「ボクに同意を求めないでくだサーイ。パワハラデース」

 話を振られた旗先生は驚いた様子も無くそっぽを向いている。教師の間では校長のこの一面は明らなことだったのだろう。自分がこれまで過ごしてきた学校の正体を知って不安になってきた。

「いや……ええっと……」

 あまりにも校長が堂々としているせいで自分がおかしいのかと疑いが生まれる。不安になって振り向けば千爽も同じように怯えていた。校長を見る顔を青くして首を縮め、肩を抱いて胸を守っている。

「そうやって隠さなきゃなんないほどは無いからアンタここに来てるんでしょうが」

 ケラケラ笑う菊水さんに挑発され、青褪めた顔は途端に赤くなった。

「別に大きさなんて関係なく、見られたら嫌なもんでしょうが!」

「待つがいい。我輩は何も邪な心でもって諸君らを観察しているわけではない。我が思考を埋め尽くすはもっと崇高な、哲学だ」

 口を挟まれた千爽と菊水さんの二人は校長に顔を向けた。始まりかけた問答を中断したのは別に目上の人物に対し敬意を表しているわけでも、健気に真実を探ろうとしているわけでもないとその顔つきを見ればわかる。まさに変態を見る目だ。ドン引き。

「いや、包み隠さず打ち明けよう。恥ずかしながらかつて我輩の信念はまさに猥褻であった。生涯を賭していつの日か〝真なる乳〟を見定め、それを手に入れるという利己なるものであった」

 発言の内容を無視すれば、厳かな振舞いに威厳が漂っているだけに余計タチが悪い。この声が外に届いて周知されることで安心できるのか、そのまま嘘の中で暮らし続けてくれたほうが幸いなのか、どちらを願うべきだろう。

 校長は軽蔑の視線をまるで意に介さない様子で続ける。

「だが諸君、考えてみるがいい。『乳を手に入れる』とは如何なることか。男として生まれし者が如何にして『乳を手に入れる』か。手で舌で弄くり舐り名を記せば手にしたことになるか? なりはせん。なりはせんのだよそんなことでは。それに気づいた時! 我が目論見は猥褻の域を突破したのだ……」

 陶酔の中にいる彼が何を言っているのかは相変わらずわからない。

「あのお、生涯を賭してって言うんなら、なんで学校の校長をやっているんですか?」

 男同士ということで通じるところがあるのか、豊くんが真面目に手を挙げて質問をした。校長の岸壁のような厳つい顔つきとは対極、ぱんぱんに実る肉が表情筋を覆っていて彼は彼でなにを考えているか読み取れない。

「おっぱい修行僧になるとか、他に色々あったでしょう?」

 そんな色々はない。ということを誰も指摘しない。校長も機嫌よく聞いている。

「実に良き、問われるべき疑いと言えよう。感心な太めの若者よ、答えよう。何を持って〝真なる乳〟とするか、それはどれだけ熟考しても未明である。然るに我が性癖は未だ迷いの中にある。小さき乳が良いか、はたまた大きい乳が良いのか。こと個人的趣向という狭い範囲においてさえ結論は遠く、真理の存在を感じるところに近づきさえせなんだ。悩み、乳を恨むことすらしたのちのこと、ならばいっそ『もう選ぶまい』と決心したのだよ。移ろう時の中で変化こそを愛そうと、それで教職に籍を置くことにしたのだ。麗しき花は蕾もまた美しいが、咲き綻ばんとする様はいっそ神秘的ですらあるとは思わんか」

 校長の話が難しいのは一般的なことかもしれないけれど、これはちょっと事情が違う。

「あー、つまり校長は、女子の胸の発育を見守る為に教師になったってことですか?」

 どうにか理解した内容を話すと、校長は満足そうに笑って頷いた。

「いかにも」

《ウワッ、気持ちワルぅ!》

 叫んで、ハッとして千爽と菊水さんと顔を見合わせた。今の声は確かに自分で発したはずだけれど、二人の声ともピッタリと重なって聴こえたので一瞬混乱した。

 校長は痛ましそうに首を振る。

「我輩に人望無きを嘆かずにはおられぬな」

「いや、単純にキショいから」

「服役してください」

「とりあえずここから出ていって欲しいです」

 女子一同から思いの丈を浴びせられ、校長は落ち込んだ様子で部屋の隅へ移動した。帰るつもりは無いようで、石像のように佇む。小さく体育座りをしてもまだデカい。

 とりあえず静かになったところでコーヘーのことが気になった。校長の影響を受けて暴走しなければいいが。

「う~ん、平等に扱おうとしているのはわかるんだが、性癖? おっぱいって性癖?」

 書記の席に着きブツブツこぼしながらノートの上でペン先を旋回させている。どうやら触発されてはいないようだ。

「あんな偏った変態の意見は気にしなくていいから」

「しかし議事録は取らねば」

「いいって。校長は会議の部外者なんだ」

「ああ、それもそうだ。だが、おっぱいの実際のサイズについては考慮すべきだな。この資料に載っているのは男子側の想像だから、一方的に過ぎる」

 資料をめくって探してみると『質問:本校女子生徒のおっぱいのサイズの割合を示してください。*表現は自由』という項目があった。これもまた回答はひどい。

・貧乳も巨乳もそれぞれ別の意味で壊滅だろwww

・万畳<ほぼ全ての女子<<<<超えられない壁<<<<菊水<豊

・はいお殿様、では示しますのでまずは屏風からおっぱいを出してください

・くれぐれも万畳がヒドい

 などなど、見るに耐えないふざけた回答が並んでいる。男子は乳と真摯に向き合うはずじゃなかったのかと校長を問い正したくなるけれど話がややこしくなるので気持ちを抑える。

「おっぱいのサイズに関するデータは絶対に必要になると思ったから女子用のアンケートに含めてはいたんだが、貧乳向けのアンケートを配る段階でトラブルに巻き込まれて、それからはお前も知っての通りだ」

 トラブルを起こしたのはお前だ、と言いたい気持ちをぐっと堪えた。

「トラブル起こしたのはお前だろーが」

 旗先生が苦悶顔で唸るコーヘーの頭を平手で叩いて、私はとても胸の空く思いがした。旗先生に対して感謝の念を抱いたのはこれが初めてかもしれない。

「お前がえぐれ胸どもを刺激しなけりゃこんなことになってないんだからな。反省しろよ? 内申減点しとくからな」

 感謝は今ので最後になりそうだ。

「そう言えば万畳さん、あんた教室で同士を率いていたな。彼女たちから統計を集めることはできないか?」

 千爽はまた資料を見つめて泣いていた。コーヘーの声は聞こえていないらしい。その手から資料を奪い取ることでようやく正気に戻る。

「もう一度同士に声かけたら何人集められる?」

 コーヘーが聞き直すと千爽は俯き、苦い顔で答えた。

「ざっと……200人」

 これを聞いてコーヘーも豊くんも驚いていたけれど、妥当な数字だ。アンケートに男子が予想してある中に『A・Bが9割超』という意見があって、それは私の見立てと一致する。普段学校で生活していてそれ以外の生徒を見かける機会はほとんど無い。参考にしていいのかどうか、隅で校長がしきりに頷いている。

「それっておかしくねぇ? 多数派がそっちなら、なんでいぢめられてるみたいな話になってんのサ」

 菊水さんはため息をつくように話した。冷めた瞳は千爽に向いている。巻き込まれたに過ぎない彼女にしてみれば他人事なのは当たり前だけれど、それは千爽には挑発と映ったらしい。怒りが燃える。

「私たちは誰にもいじめられてなんかない!」

「だって泣いてんじゃん」

 二の句を告げなくなった千爽は歯を食いしばって黙ってしまった。

「自由に発言するのはやめて! 会議としての形に戻させてください」

 強く言うと場が静まった。どうやらまだ私に任せてくれるつもりはあるらしい。

 私は席に戻り、これ見よがしにずれていた位置を正して「司会」の札を見せ付ける。その期待に応えて見せるという誓いのつもりで。

「さて、『胸が小さいと迫害される』という事実確認の前に、まずこれは誰によって迫害されるのかということからハッキリさせていきましょう」

 札に「司会」と書いてはいるけれど、私の本質的な役割は弁護士だ。かけられた疑いを徹底的に排除し、争いなんて起きていないことを証明する。それが私のやるべきこと。

「アタシじゃないよぉ」

「誰があんたらにいじめられるってのよ」

「確認しただけじゃん。いちいち突っかかってこないでくれるぅ? あ、舌打ちした。感じ悪ぅ」

 相変わらず勝手に話し始める千爽と菊水さんに心の内で頭を抱えた。この二人が協力してくれないとなるとコーヘーを納得させることは困難を極める。

 気になって横目に見れば、コーヘーはそんな二人の様子と交互に見ながら熱心にノートに何か書き込んでいた。

「ちょっとあんた、何書いてんの」

「俺は書記だぞ。記録くらい取るとも。やはり対立は根深いようだな。だが安心しろ、必ずこの溝は埋まる。埋まるまでやる」

 独り言のように呟いてやる気を燃やしている。どんどんマズい事態になっている。

「待ちなって。この二人は今だけちょっと喧嘩っぽくなってるだけで、普段そんなことないから。この特殊な状態のせいだから」

「追い詰められた時に出るものこそが本性だ。平常表に出さない本性が、普段の行いに影響しないとは言わせない」

「今まで生活してきてそういうこと感じたことあった? あんただって今日初めて問題

だと思ったんだろ。グラビア見てた男子がしょうもないこと話してなければそんなこと考えなかった」

「それは……確かにそうだな」

 コーヘーの顔つきから力が抜けていき、自信が揺らいでいるのがわかった。チャンス。

「そう、要するにあんたが問題に感じたのは胸の大きさを理由にした対立とか迫害じゃなくて、単なる『その男子の好み』だったってわけ。じゃあどうする? そいつらの個人的な趣向が捻じ曲がるまで洗脳する?」

 続けて言うと腕を組んで考え込み始めた。これはいい。

 元々「平等であるべき」という目的に向かって行動する以上、今の不平等が見えなければ必然的に引き下がる。他人の趣味にまでとやかく言うのははっきりと筋違いだから。

「堂々と教室で話すようなことじゃあない話題でその男子たちが盛り上がっていたってだけで、別に誰が悪いって決めなくちゃいけない話じゃない。何か下される罰があるとしたら、学校に雑誌を持ち込んだ校則違反だけ」

 これで一件落着。安堵してゆっくり振り向くと千爽と菊水さんに親指を立てて見せた。弁護士としての役割を果たした、そのつもりで。

「そうか……わかった! 貧乳イメージアップキャンペーンを行うぞ!」

「な――なんでそうなんの!」

 思わず手が、いや足が出た。横っ面を蹴り飛ばすとコーヘーは机の天板で頭を弾ませて床に落ちる。

「あ、校内暴力」

 菊水さんの呟きが聞こえた。自分でもそう思うけれど絶対にここで反則退場するわけにはいかない。

「これは幼馴染ならではの近所づきあいです!」

 開き直って脅すつもりで睨みつけると、床で昏倒しているコーヘーを見下ろし顔を引きつらせていた旗先生はそろそろと他所へ顔を向けた。

「俺は何も見ていない」

 人道に反してでも面倒を嫌う旗先生なら困ったことにこれが当然だ。

 続けてもう一人の監督義務、校長に注意を移すと私が用意できるよりも遥かに強力な眼光で返された。たじろいでつい一歩引いてしまう。校長にしてみればこの程度の凄みは普段から発しているので私が背伸びをしたところで乗り越えられそうもない。

「青春に衝突は付き物、まさに左右の乳が如し」

 校長は感慨深げに頷いている。旗先生と違って予測も理解もできない言動の主について思考して時間を費やすのは無意味だ。

 構わず押し進もうとして、また菊水さんに挫かれた。

「校長それ失言っしょぉ? ぶつからない人がいるからこうして揉めてるんだしサ。ねえ? 揉めないひと」

「アアーッ? 上等だぁコラァ! 徹底的に激突してやらぁ!」

 視線を投げかけられた千爽はとうとう傍らの竹刀に手をかけフルスロットルで怒り出した。もしかするとこれほど興奮しているのは当人にしても初めてのことかもしれない。

「ちょっと馬鹿なことしないで――」

 慌てて止めに入った瞬間寒気に襲われた。菊水さんを庇って間に割り込んだことで視界を遮ったはずが、千爽の眼差しは力強く焦点はしっかりとしていた。すかさず切り替えたのか始めからそのつもりか、止めに入ってくることを読んで狙いを絞られていた。打ってくる。

 竹刀袋を抜き捨て机を避けて前へ出てくるに合わせ、一歩引いた足は逃げるのではなく支える為の挙動。重心は前寄り、集中して相手の動きをよく見る。

 正直な上段からの振り下ろしが降ってくる。構えた手刀は迎え撃ち止めるのではなく、竹刀に合わせ同じスピードで剣先に従って押す受け流し。

 単純な話だ。例え真剣が相手だったとしても同じ速度で同じ方向へ動けば斬られることはない。

 イメージ通りにうまくいき剣先は勢い余って床を叩いた。ピシャリと竹が震えて竹刀が鳴く。千爽は眉を上げぎょっとしていたけれど、同じ気持ちだった。こんなことを試みたのは初めてで、抜きざまだったせいで片手打ちになっていなければきっと追いつかなかった。

 しかし表情は違っていたらしい。

「こんなことで勝ち誇らないでくれる?」

 今燃えているのは体育会系のプライド。新たな燃料を与えてしまった。

 弁解の隙は無くもう一度正眼の構えが戻る。宙に浮かんだ二本の竹刀を見てぎょっとする。

 この〝曲芸〟は知っている。こうして空中に放った竹刀の片方を掴んでそのまま打ち込む千爽のオリジナルだ。部活の休憩中に披露しているのを見たことがある。竹刀を手放すのは違反行為に当たるそうなので試合では使えないと聞いたけれど、だからといってまさか自分が標的になるとは思わなかった。

 両方を同時に受け流すことはできない。片方がフェイントなら、先にこちらからその選択肢を決めてやればいい。

 驚きで竦んだ体を奮い立たせ前へ伸ばし、さっきと同じく手刀を伸ばして竹刀へ触れる。ただし今度は流す為でなく落とす狙いだ。千爽に掴まれないよう弾いて位置を動かす。そうやって選択を減らしてしまえば迷うこともなくなる。

(これで――)

 うまくいったはずだった。内心勝ち誇った私が残る一本に注意を戻した時、そこにあるはずの一本はいつの間にか二本になっていた。そして、その二本共に手がかかるのが見える。

 直撃だけは避けるべく体を開いて横へ向け、折り畳んだ肘を上げた私を挟んで二筋、上段からの斬り下ろしが鼻先と背中を掠めて過ぎる。ピリっと痛んだけれど、しでかした油断に比べれば分の良い痛みだ。これだけで済んだのは千爽が手を抜いたからに他ならなかった。その証拠に目の前の顔は口の端で笑っていた。

 剣先は私の首の後ろで交差してカタと音を立て、抱きしめられる形になっている。笑顔はそのまま親愛の表れではなく支配者の余裕と言える。

「剣道三倍段って言うんだっけ? そんな控え目な数字じゃ比較できないってことを教えてあげる」

 思わずムッときた。体育会系のプライドならこっちにもある。

 しかし振り払うより千爽の動きが速い。すり足で数歩下がって腰を落としたところまで見て、そこから先は宙へ放られた竹刀へと注意を移す。

(何度も同じことを――)

 今度は五本。それもさっきまでのように単調な横並びだけでなく、面狙いの三本の他、胴の高さに横向きや逆袈裟で膝を狙う軌道にも位置している。こうなるといよいよ剣道でもなんでもない。が、空手で考えれば下段狙いは常識の範囲内だ。

 腕で頭を固め、片足を上げる。五本の内どれとどれが来るかこそ予測できないが、なにしろ太刀筋が途中で停止して見えているに等しいので備えはできる。頭の三本を両腕で、胴を腿で、膝を足の裏で止める構え。上げた足でそのまま前蹴りを喰らわせる。その先は密着して乱打戦だ。

 剣道三倍段というけれど、相手が竹刀なら三回打たれている間に一撃で決められる。

 覚悟を固め息を止め意識を研ぎ澄ませる。だが、続かなかった。緊迫で硬化した世界に横合いから割り込んできたコーヘーに破壊された。

「仲間同士で争うのはよせ!」

 両手を一杯に開き千爽に向かって立ちはだかっている。『なぜ私を守る』とかそんなことに怒る前に危険を感じた。千爽だけでなく、被打のタイミングを計りこちらももう動き出している。

 竹刀の連打に続き私の蹴りがコーヘーの尻に食い込んで鈍い音が轟いた。前後から押され反発で舞い上がったコーヘーは床に落ち壁の方へと滑っていく。

 菊水さんがゲラゲラ笑う声と豊くんの野太い悲鳴が脇に聞こえる、その程度には集中が解けて平静になった。

 今見たことを落ち着いて思い出すと、千爽の竹刀は五本ともコーヘーを叩いていたような気がする。一体どうやればそうなるのだろう。これじゃ曲芸というより手品だ。

「ふぅん」

 千爽は振り向いて倒れ伏すコーヘーを見下ろした。

 両面から激突されて飛んだ障害物が千爽の後ろへ落ちたことで単純な押し合いではどちらが勝ったかを物語っている。首の向きを戻した時には面白くなさそうな顔をしていたが、すぐに笑顔になった。

「やるわね。校内最強女子決定戦、ここでやる?」

 散らばった竹刀を拾い集めながらの言葉は固さを失くしてはいないけれど、敵意と呼ぶほどの棘はもうない。それを確認してからこちらも構えを解く。

「そんなタイトル欲しくない」

「私も要らないけど、ムシャクシャするからやっちまいたい気分だわ」

 他が障害や不安因子だらけだから千爽に我慢してもらおうと思っていたせいもあってか、かなり負担になっていたようだ。

 返事を躊躇っているとコーヘーが復活した。

「やめるんだ万畳さん。誰かを倒して解決するような話でもないんだこれは。必ず助けるから、俺とナオを信じてほしい」

 床に手をついて身を起こしながら見当違いの情熱がしぶとく吹き上がっている。一方で千爽は氷のように冷たい。

「助けるって、一体何をしてくれるって言うの? 不思議な魔法で私の胸を大きくしてくれるとか?」

「そんなこと、できたとしても絶対にしない。なぜならそれでは本当に貧乳を救ったことにはならないからだ。真の救済、具体的な方法はあれだ!」

 コーヘーが指差したホワイトボードにはイラストが描かれていた。二頭身の小さな人形が御輿を担いでいる絵だ。御輿の上にも一人人形がいて線を引き「万畳」と注釈がしてある。つまり千爽が担がれているイラストらしい。

「あのように大勢を連なって練り歩き『貧乳万歳! 貧乳万歳!』と盛んに唱和する。これを目撃した群集に『あらもしかして貧乳っていいものかもしれない』という意識を呼び起こすことで貧乳の価値が改められ――」

「晒し者じゃないのこんなの!」

 当然の怒りが、通じるようなコーヘーじゃない。

「苦痛無く切り拓ける道などあるものか。もし大きな効果が得られないとしても、息を潜めている支持者が堂々と出てこられる環境を作るだけでも意義はある。万畳さんたちの集団は既に圧倒的大多数なんだ。次は支持者がそれに追いつけばいい。その為の礎になれ! 勇気を出すんだ!」

「勇気……? 私に勇気がないって言うの?」

 千爽は取り戻しかけていた平常心をあっという間に手放してしまった。

 コーヘーにはそうした影響力がある。本人が正気を失っているようなところがあるせいか、周りにいる人間はそれに引き込まれるようにして冷静さを失ってしまう。簡単に言えばよく人を怒らせる。

 だけどそれだけじゃない。

「でもイメージは大切っスよ、実際」

 にゅっと、コーヘーの後ろに首が生えた。どんぐりのようにつるんとした愛嬌のある顔がにっこりと笑う。押風(おしかぜ)実(ミノル)くん。

「パフォーマンス的な態度を嫌って硬派でいれば『自分かっこいい』って思ってられるかもしんないスけど、それじゃなんにも進展しないんスよ?」

「な、何よコイツ急に」

 突然の乱入に千爽は戸惑っているようだった。一体いつこの部屋に入ってきたかまったくわからないけれど、どういう状況であれ彼がコーヘーの陰から現れることは不自然にならない。

「顔くらいは見たことあるでしょ。なんていうか、うん。コーヘーの強烈な信者」

 今のように情熱を発症している時のコーヘーはなにしろ目立つので好奇心をくすぐられた誰かが近づいてくることもある。大抵は呆れて興味を失くすけれど、押風くんはその例外的な存在だった。

「〝信者〟ってのは心外っスねえ。同じ学校の先輩を応援したいってのは健全な気持ちっショ?」

「おお! 今回も力を貸してくれるのか。頼もしい」

 コーヘーが力強く握手で歓迎した。彼の合流は予想できる展開ではあったけれど、だからこそこの会議からは外していたのに「厄介なことになった」と感じざるを得ない。

「え、今回ってなあに?」

 豊くんの質問に嫌なことを思い出した。

「あー……前に体育の授業中に差別意識を感じたとかで、『体育会系と文化系』の溝を埋めるって言い出したことがあってさ」

 運動神経はそれぞれだとしても普段体を動かす機会が多い生徒がスポーツで活躍するのは当然のことだけれど、コーヘーはそこを考えに入れない。運動部と文化部の相互理解の為に部員入れ替えによる体験入部を企画したものの誰にも受け入れられなかった。その挙句、勝手に各部室へ侵入して備品を入れ替えてしまった。

「部室に行ったら防具が〝漫画セット〟になっててたまげたわ」

 思い出しているのだろう、千爽までが陰鬱な顔をする。コーヘーは当然ながら男女を区別しない。因みに女子空手部は茶室になっていた。

 その時は体育会系と文化系が揃って反発し、その団結を見たコーヘーが満足したのですぐに収束した。けれど今回、両者は極力息を潜めていたいと考えているので同じ流れになるとは期待できない。

「あ~、そんなことがあったんだねえ」

 部活には入っていないのか、知らなかったらしい豊くんはなにやら納得した風に何度も頷く。

「それで最近、体育の時間が接待みたいになってるんだねえ」

「なんかゴメン」

 再発を防ぐ為には確かにそのくらいの演出が必要かもしれない。コーヘーはいつでも目を光らせている。というかなにか感じればたちまち光る。

「あれ面白かったっスねえ」

「ああ、実に有意義な活動だった」

 押風くんとコーヘーだけが当時を振り返って活き活きとしている。良いことをしたつもりでいるのだろう。

「つーわけで、今回もお助けするっスよ、アニキ」

 顔を輝かせた押風くんは意気揚々と足取り軽く会議席の右翼、千爽の隣に座った。大変ご機嫌なようで机上で潰れていた三角柱を伸ばして〝貧乳〟の札を置き直しながら鼻歌が混じる。

「バッキャロウ!」

 その押風くんの頬にコーヘーの拳が突き刺さった。突然のことに押風くんは成す術も無く椅子から転げ落ち壁際まで転がっていく。それを見下ろすコーヘーは憤怒の形相だった。

「何を迷わずにそこに座っているんだ。助ける? 考え違いをするな。さっき貧乳の当事者である万畳さんも言っていたことだが、貧乳は弱いわけじゃあない。貧乳は守られなければいられないようなものじゃない!」

「あんまりそう連呼しないでくれる? 名前も出さないで」

 千爽が口を挟んだところでコーヘーが当人の意見に耳を傾けるはずがない。

「我々〝おっぱい評議員〟はどちらかに肩入れする為に行動を起こしたわけじゃない」

「わ、恥ずかしい名前つけられてる。ウケる」

「主眼は真なる平等を手に入れることだ! 勝ったり倒したりしたいだけならば今すぐにここを出て行け!」

 役に入ったような身振り手振りで話すコーヘーの声は押風くんには届いていない。なぜなら気を失っている。常に力いっぱい暮らしてやたらと敵が多いせいか、コーヘーは運動をしているわけでもないくせに頑丈で喧嘩も強い。

「私は別に負けても倒されてもいいんだけど。静かにそっとしておいてほしい」

 千爽は心底疲れきった声で話し大きく息をついた。会議はまだ何も進展していないのに、最後まで精神が持ちこたえられるかどうか心配だ。

「そんなことでどうする? もちろん我々も手伝うが、なによりまず万畳さん自身が立ち向かわなければ意味はないんだからな。いつだって思い出すんだ、万畳さんは一人じゃない。その背中にしょっているものがあるだろう? 万畳さんの仲間たちが背中みたいな胸を不安でいっぱいにしながら万畳さんを応援している」

「おちょくってんのかコラぁ!」

 電撃的な素早さで千爽の竹刀が翻ったが、コーヘーは床に這いつくばることでそれをかわした。剣先は空を切る。

 ちょっと感心した。

 あの床と一体化した姿勢ならどこを狙われていようと床を叩く動きでしか命中しない。その打ち方が剣道に型として無い以上、慣れない動きならもし当たったとしても大して痛くはなさそうだ。

「なめんなっ」

 千爽は次の姿勢に移っていた。竹刀を肩へ担ぐように振り上げ、片足をやや浮かせながら腰をひねる――ゴルフスイング。

「怒られるけど――たまにやってます竹刀ゴルフ!」

 コーヘーの顔が引きつるのが見えた。あの体勢からかわしようがない。

(まったく……)

 千爽の後ろから前へ滑り込みながら開脚して腰を沈め、靴底で竹刀を受け止める。それなりに鍛えた足先なので大事には至らない。

「あら、愛は偉大ね」

 振ってきた皮肉な言い草に負けじと睨み返す。

「冗談、単にさっさと終わらせたいだけ」

 爪先をコーヘーの首の下へ差し込んで力任せに振り上げると、大して動じずに着地して立った。

「では会議を続けようか」

「私はもうちょっと気分転換続けたいんだけど」

 千爽は竹刀をブンブン振り回してゴルフスイングを続けている。あとで顧問に言いつけてやろう。

「あのね、そんなこと続けたって何も生まれない。会議の流れをコントロールする為に力を貸してって言ってんの。千爽、お願い」

 千爽と睨み合う。この件には彼女の協力が絶対に必要だ。どうしても必要だ。一方の勢力の代表者というだけでなく、親友としてこの困難な挑戦をそばで支えて欲しい。今こうして対立していることがとても切ない。

 千爽は気まずそうにしながらも納得していない。

「そう言うけど、一体なにがしたいわけ? あんたらの関係で今更『同じ委員会になって憧れの彼とお近づきになっちゃうゾ☆』って狙いがあるわけでもないでしょうに」

「な、なんのこと言ってんのよ」

 反論はモゴモゴと口の中から上手に出て行かなかった。

「そんな下心でもなきゃ誰が好き好んであんなめんどくさい星のめんどくさい王子に付き合ってこんな馬鹿なことやるっての。得なこと無いじゃない」

「ハァ? なに馬鹿言ってんの。んなの今全然関係ないでしょ」

 腕を交差させ下へ払う。

「あんたねえ、自分じゃわかってないみたいだけどバレバレだからね? 幼馴染がどんなもんか知らないけど、恋は盲目って言っても限度があるでしょうが」

「ちげーし、幼馴染じゃないし、間に畑あるし、話逸れてるし」

 千爽の足元を指差した手を、がっと掴まれた。

「そのうろたえると審判のジェスチャーをする癖はやめなさい!」

「そっちみたいにすぐ竹刀振り回すよりマシですぅ!」

 しばらく取っ組み合いをして、千爽の顎に二、三発膝を入れてから周囲の様子が変わっていることに気がついた。

「手早く周知させるには神輿が良い方法だと思うんだが。選挙カーやデモのように、ずっと続けられている洗練された手段だと思うのだが」

「言うけどアンタあれ聞いて内容わかったトキある? 意味わかんないのに『活動してます』ってアピールだけする意味なんてないじゃん。普通の人間がやったってただの罰ゲームだし」

「それ万畳さん泣いちゃうんじゃないかなあ」

「オイラも賛成できないっスねえアニキ。パフォーマンス自体は賛成っスけど。どうしてもやるんならせめて最後でやんしょ? ドパっと派手に勝利宣言」

 コーヘーや失神していた押風くんも復活して会議が再開していた。議長の旗先生は冷ややかな目でこっちを見ている。何も言われないことでかえって自分のしていることが子供染みていると理解できた。

「勝利は目的でないと何度言えばわかる? そのことを重々理解しない限りお前がその席に座る資格は無いぞ」

「へえへえ、わかってますって。でも話し合えばきっとこっち側に不利に進むと思うんで、加勢があったほうがいいっスよ。っていうか好きっス、貧乳」

「ム、確かに。前準備で集計したアンケートの時点でこの偏りぶりだからな。よし、適宜適切な意見を頼むぞ」

 掴んでいた千爽の喉笛を離し、バツの悪い思いで頭を掻きながら司会の席へ戻る。危うく自分から役を降りるところだった。

 千爽は千爽で不満そうな顔をしながらも貧乳席に戻った。踏まれても蹴られても結局は根が真面目なせいで放り出せないらしい。その責任感が少しでも私との友情から働いているとしたらとても申し訳ない。

 なにしろこれから彼女はまだまだ心に傷を負うことになるだろうから。

 ◇

 差別の有無について議論する前にそれぞれが持つイメージについて話し合うことになった。象徴的なものとして、検証するのは呼称だ。つまりは巨乳と貧乳がそれぞれどう言葉で表現されているか。

「巨乳、爆乳、豊乳、デカパイ、ロケットおっぱい、スイカップ? デカチチ……ええと、これで出たのは全部書いたか?」

 上がった意見をホワイトボードに一つ一つ書き出してコーヘーは腕組みをして唸る。

「今はあんまり言われんようだが、『ボイン』とも昔は呼んだのう」

「さすが校長、古臭い」

「フィクションだと奇乳とか魔乳とか超乳なんて言葉もあるよお」

「なにあんたそういうの趣味あんの」

「あ。深くは追求しないでネ?」

 豊くんも菊水さんも挙手せずに発言しているけれど、とりあえず円滑に進行しているのでとやかく言うのはよすことにした。

「今回は一般的なものに限りましょう。特殊な例については趣旨から外れると思うし」

「異論は無いっスよ」

「じゃあ次は貧乳側。各自意見は?」

「とりあえず『貧乳』だな」

「無乳、ナイチチ、チッパイ、微乳」

「ビ?」

「ビミョーのビ」

「〝美しい〟のほうもあるっスよね」

「はぁー? それってそっち側に入れる分? 大きいと崩れるって言われてるみたいでムカつくんだけど。大体、形が整ってるから〝美しい〟になるんなら、形を作るほどボリュームが無いそっちのことは言わないんじゃない?」

 大いに盛り上がっている。これほど滞りなく進行するのは千爽が沈黙を守っているからという要因が大きい。

 千爽は長机の上でもうずっと座禅を組んだままぴくりとも動かないでいる。両の踵を上へ向けた結跏趺坐で瞼を閉じ、口元は微笑んで見える。悟りの境地に達しているようにさえ感じるこの忍耐に対し敬服せずにはいられない。自然と両掌が合わさり頭は下がった。

「っていうか、ボリューム無いのに『おっぱい』って呼ぶの?」

「そっから否定します? 根底じゃないっスか」

 一瞬千爽の眉がピクリと揺れた。それはわずかな変化だった。けれどそれまで完全な凪に等しい平面だったところに起きた違いだったせいで無視できないほど大きく見える。

「話がズレてる。今はそれぞれの呼称についてだけ話して」

 すかさず会議の流れに修正を入れる。

 千爽は今その穏やかさからは窺い知れない努力で堪えてくれている。彼女の器が許容できるレベルを超えないよう会議を誘導しなければ、現状悟りに向かっているエネルギーがそのままの強さで真逆へ向かうことになるだろう。

「えーと……無乳、ペチャパイ、つるペタ」

「洗濯板、まな板」

「盆地胸、えぐれ胸」

 発言が相次ぐ間その内容を気にするよりもひたすたらハラハラして千爽の様子を見守った。幸い微笑に戻ってはいたが、それが本当の心中を表わしていないことくらいはわかる。笑顔の裏に歯を食いしばり血の涙を流しているのが透けて見えるようで、独りでにもらい泣きしてしまいそうになった。

「ちょっとそこまでで待ってくれ。記録が追いつかない。えー……盆地、と」

 果たしてこれで進展していると言えるのかは定かではないけれど、ともかくギリギリのところで安定している。せめて維持したい。

「しかし、こうしてみるとわかり易過ぎるくらいに性質が分かれたな。どちらの所属か曖昧な『美乳』を除けばほとんどが褒め言葉と悪口に分類できる」

「でも『ちっぱい』は響きが可愛くてアタシ羨ましいけど? ほら、巨乳(こっち)側のってなんかものものしいのばっかりじゃん?」

「確かに、凄みのある字や言葉が用いられているものが多いな。しかし『ちっぱい』は『ちっちゃいおっぱい』の意味だろう? わざわざ小さいと指摘するからには悪意があるだろう」

「でも呼び方には愛がこもってるんじゃないっスかね。ほら『ちびっこ』なんか、『ちび』自体は差別用語みたいに言われてるっスけど、愛があるっしょ」

「『ちびっこ』は小さいことについて表しているわけじゃないから意味が違う。『ちっぱい』は小ささを特徴として分類する以上、やはり大きなおっぱいと比較されている。比較対象になるのは個々人が無意識の趣向や有意識の信念によって定める〝標準〟であり、言わば絶対の〝乳原器(パイスタンダード)〟だ。『この年齢であれば当然この程度には成熟しているであろう』という、呼称で言うなら『普乳』に当たるイメージか? 夢見がちなアンケートの最多数によればおおよそCからDのラインだな。それと比較されているんだ」

 最初に恐れ、憂鬱に思っていた風とは違いマトモな話し合いの形になっている。物事に取り組む真剣さにおいてコーヘーは求められるレベルを破壊的なまでに越えた超人と言えるので、こうして横顔をじっと見つめ内容を聞き流してさえいれば名演説を打っているようにも錯覚できる。書記としてはあまりにも喋り過ぎだけれど、心配は杞憂に過ぎなかったのかもしれない。そう思えた。

「『ちびっこ』に対するのは『大人』だ。いや、『大人性』と呼ぶべき心身の成熟か。ただしこの二つは比較の関係にあるわけじゃない。間にあるのは差別ではなく区別だ。もしこの語句が例えば身長の低さを嘲る為に用いられるのであればそれは差別になるだろうが、一般的な用法としてはやはりお前の言うように『愛がこもっている』と捉えるべきだろう。とは言え、問題にすべきなのは発言者の意図よりその語句がどう受け取られたかこそが優先されるべきだと俺は考えるが、今はそれについては話さない。込めようと思えばほとんどの言葉に悪意は宿る。そのそれぞれを計ることは今この議会の目的とは違うからだ」

「子供と大人は比べるもんじゃないってのはわかったっスけど、比較すること自体が悪だって決め付け過ぎじゃないっスか? 無意識に基準作っちゃうことは実際確かにあるでしょうけど、そこから小さいおっぱいを見たからって必ず馬鹿にしてるってことにはならないっスよ。基準値からマイナスになるのと一緒に価値まで下がるわけじゃあないんスから。スタンダードがストライクってわけでもないっしょ?」

「それは……」

 押風くんの指摘っぽい物言いにコーヘーは言葉を詰まらせた。コーヘーを大人しくさせることが基本的な方針ではあるけれど、繰り広げられる会話の内容については理解を放棄しているので現在それが歓迎すべき流れなのかわからない。うん、司会は無理だ。

「それってさあ、単にあんたが巨乳好きってだけの話なんじゃないの?」

 菊水さんの追い討ちでコーヘーは大きく反応した。体を緊張させて背筋が伸び、急に青い顔をこっちに向ける。

「違うぞ? 断じてそんなことないからな?」

「あんたにいじめられてるなんて思ってないっての」

「ならいいんだが……そうだ、お前はどう感じる? この『ちっぱい』という響きに」

 傍観を決め込んでいた話題が真正面に回り込んできた。ここで答えなければ回答権が千爽に回ってしまう。

「まあ、他のよりマシだとは思うけど。でもその中のどれなら許せるとかいう話じゃないからね」

「こっちもおんなじ。言われて嬉しいわけじゃないんだから褒め言葉なんかじゃないっつーの。『キミ巨乳だね』なんて言われて『わぁ、ありがとうございますぅ』なんて喜ぶと思ってんのか腐れちんこのピちがいども」

 私の意見に菊水さんも頷いている。コーヘーはまた考え込んだ。

 こうして両側で意見をまとめコーヘーの勘違いを正しくしていくことがそもそもの狙いだった。何度か衝突はあったけれど、菊水さんが案外友好的な態度でいることがありがたい。

 感謝を伝え意思の疎通を図るべく微笑んで視線を送って目が合うと、それまでダルそうに頬杖をついていた菊水さんは一瞬真顔になってから意地悪そうに笑った。

「でもまあ、あっちみたいに悪口言われるよりずっといいけどね」

 にやにやと口元を緩め急に嫌味な口調になっている。

「比較が悪くないとか馬鹿なこと言ってるけど、だったらなんでそっちはそんな嫌な呼び方ばっかり集まってんのサ。スタンダードがストライクじゃないって? それが事実だとしても、スタンダード以下がストライクになるなんてあり得ないからそんなありさまになってんでしょ」

 『協力するなんて約束してない』。菊水さんが始めにそう言っていたことを思い出す。その時から匂わせていた通り敵に転じてきた。

 これはまずいことだ。彼女の立場からであればいくらでもことを荒立てることができる。現にコーヘーは興味津々で食い入るように菊水さんの話を聞いていた。

「やはりか? 菊水さんは万畳さんに対して優位を感じているのか? 性的な特徴を強く発揮している自分こそが優れた〝女性〟なのだと?」

「女っぽい女のほうが女として価値が高いのは当たり前じゃん? 性格とかが大事だっていうのはそりゃーそーだけど、それが胸の大きさと両立しないってわけでもないんだからサ」

 まるで菊水さんの弁を自身への侮辱と感じ取っているかのようにコーヘーが逆上していくのが見ていてわかった。肩に力が入り机に立てた拳がブルブルと震えている。

「その考えは己の内の意識に置いてだけでなく、世間にあっても同じ扱いになることを望んでいるのか?」

「望まなくても勝手にそうなってるし」

 明らかに意識的に煽っている。何を狙ってのことか計れずにいる私はただハラハラしながら様子を見守るしかなかった。

「その考えが争いを生むとわかっていながら続けるのか」

(争いを生んでるのはお前だ!)

 コーヘーの言葉に心の中でツッコむ。と同時に視界の端で新たに生まれつつある災いに気がついた。

 千爽が揺れていた。文字通り机の上で座禅の形のまま微振動している。

 無表情と憤怒を行き来する彼女の表情がその身の内で起きる葛藤の激しさを雄弁に物語っていた。揺れは次第に大きくなりガタガタと机の足を鳴らし始めた。

「いけない! 押風くん、貧乳を褒めて!」

「えっ、なんスか急に?」

 隣の押風くんは心配してか千爽に近づいては離れを繰り返していた。

「あんた貧乳サイドでしょうが! それしかその魔神を止める方法は無いの!」

「んな勇者みたいに言われても……」

 押風くんは困った顔で何度も千爽へ視線をやる。

「面白いじゃん。褒めるところがあるんなら褒めてみろっつーの。ナイチチのほうが好きな理由に〝ロリコン〟以外の理由があるならね」

 菊水さんはコーヘーから標的を外して挑発的に笑い、彼女の発言で千爽の鳴動は余計に激しくなった。早くなんとかしなければ。

 もう一度強い視線で発言を促すと押風くんは頭をかきながら菊水さんに顔を向けた。

「あー、えーと、小さい胸の女の子が好き=ロリコンっていう考えは間違いっスよ。現に俺はロリコンじゃないっスもん。貧乳のほうが好きっスけど」

「そりゃあんたも子供だからじゃん。その席に旗センセーとか校長が座ってみなって、即威嚇射撃だから。校長はどこにいても実弾直撃だけど」

「子供同士が合法で貧乳好き=ロリコンっていう考えは大人になれば必ずおっぱいが膨らむって前提の話っしょ? けど現実はそうじゃないっス。貧乳=子供じゃない。大人でもおっぱいは――」

「ちょっと待った押風くん、その論点は諸刃の剣だから話題変えて!」

 千爽の震えが激しくなっているのを見て中断させる。押風くんの勢いが止まったのを見て、菊水さんは笑みを強めた。

「あんた馬鹿でしょ。その話続けたってロリコン趣味を正当化することしかできないっての」

 彼女はこの会議で勝利するつもりだろうか。そんなことをすればこの学校で過ごしにくくなる。考えなしに動いているとも思えないだけに狙いを計り知れないことが不安で仕方ない。

「それじゃ話を変えるっス。さっき性的な特徴だとかって話になってたっスけど、じゃあ〝性的〟ってなんスか? なんの為におっぱいはあるんスか? 残念なことに……残念なことに! おっぱいはなによりもまず赤ちゃんの為のものっスよ。性で言うなら女性じゃなくて〝母性〟で、妊娠後母乳を出すことが唯一の機能っス。その役割はおっぱいの大きさによって成果が違ってくるもんじゃないんス。大きくなきゃ母乳出ないわけじゃないんスもん」

 私にはわからない情熱だけれど押風くんの弁舌に力が宿っていることはわかった。コーヘーほどの闇雲さもなく、しっかりとした意思でそこに座っている。隣(と言っても机の上)に座っている千爽にもそれは伝わっているらしく、いつの間にか鳴動は止まり表情は穏やかな微笑に戻っていた。

 感謝したい人がまた増えた。現れた時にはコーヘーの弟分ということもあって厄介者にしか思えなかったけれど、彼は千爽の変わりに矢面に立ち盾となれる人物だ。会議が始まる前にはありえない選択肢だったにしても最初から彼を誘っていればよかったとさえ考えが変わっている。

「だーかーらー、あんたはさっきからズレてるっての。その反論じゃおっぱい(乳房)がちっちゃくても赤ちゃんにおっぱい(母乳)あげるのに困らないって話にしかならないっつーの。今誰もそんな話してないから。目で見てわかる、ファッションとしてのおっぱい(乳房)の魅力でしょうが」

「機能美。無駄が無いってことはそれだけで美しいってことなんスよ。ゴテゴテと装飾を好む悪趣味は文化的に発展途上の証拠っス。シンプルな中にこそ本当の美しさはあるんス。思いっきり悪口だからさっきは控えてたっスけど……アニキ、巨乳の呼称に今から言うのを加えといてもらえますかね? この人みたいのは『駄肉』って言うんスよ」

 菊水さんは頬杖を外し、ずっと緩んでいた目元に力を入れて押風くんを睨んだ。流石に頭に来たようだ。

「今、なんつった?」

「だってそれ、毎日ぶら下げててなんか良いことあったっスか? 女として経験積んだ色っぽいオネーサンならともかく、ただ単に乳がでかいだけの子供が〝女の武器〟とか言い出したら笑うっスよ」

「あんたらみたいのが……勝手に――!」

 怒りのあまりそれ以上は言葉として出てこない。

「はいやめ! 一旦落ち着こう!」

 手を叩き、追撃しようとしていた押風くんを黙らせた。押風くんは今ひとつ納得できなさそうな顔で背もたれに体を戻す。

 考えを改めなくてはいけない。押風くんは千爽の為の盾となってくれるというよりただただ貧乳が好きでそこにいるのかもしれない。これでは千爽が沈黙した代わりに、より安定した火力が加わっただけのことだ。頭が痛い。

 沈黙していても菊水さんと押風くんは遠慮なく敵愾心を花開かせ、場はこれ以上ないくらいギスギスしている。楽しそうにホワイトボードに『駄肉』と書き加えているコーヘーを殴りたい。

 不意に、ガサゴソと音がすると思ったら豊くんがお菓子の袋をいくつも机に広げ始めた。無邪気な笑顔を揺らしお菓子の山を眺める様子は至福そのものに見える。

 会議が退屈だとか定期的にカロリーを摂取しなければ死んでしまうとか、そういうわけではないらしかった。一つ小袋をつまみ上げて包装を破り、ビスケットを菊水さんの顔の前に差し出した。

 菊水さんは急に鼻先に現われた物体に戸惑い、それがなんであるかを知ったあとは嫌悪の視線を豊くんに返した。

「なにこれ。同じデブキャラだと思ってんなら腹立つんだけど」

「甘いもの食べると気分が良くなる」

「んなの、あんただけだっつーの」

「女の子と甘いものと笑顔はセットでなくっちゃね」

 なんだろう。豊くんのまん丸い顔が一瞬爽やかイケメンに見えたから不思議だ。

 菊水さんも同じ幻覚が見えたのか、驚き顔で固まって唇はクッキーを受け入れてしまった。ぷいっと横を向いてモグモグ動く菊水さんの頬がピンク色で染まっていくのをついニヤニヤして見つめてしまう。

「ねえ、基本的に大は小を兼ねると思わない? たとえば大盛りは偉い」

 おもむろに議論を再開したのは豊くんだった。千爽に押風くんが味方したように、菊水さんにもナイトが現れた。主張の内容はなんとも豊くんらしい。

 押風くんはもちろん受けて立った。

「そりゃ選ぶ場合の話っスよ。これは行き来できないまったく別もの、帯に短し襷に長しって、言うならこっちのほうっしょ? おっぱいは途中で『これちょっと多いな』って思ってもオニギリにして残しておくことなんてできないんス」

「食べ残すなんて食べ物に対して不誠実だよ。それと、もしかしてオニギリを食べ残しの処理方法なんて思ってる? 殺すぞ」

「なんスか急にこわっ! んなこと思ってないっスよ。から揚げとかだって一晩置いてしんなりしたのも美味いじゃないっスか。食べ残しじゃなくて敢えて一日置いておくっていう調理法っスよ」

「あー、それならアリだねえ」

「いや食べ物の話をしたいんじゃなくって!」

 押風くんが豊くんのペースに飲み込まれている。このままうやむやになってくれれば雰囲気はマシになるけれど、根本的には解決しない。事実、コーヘーはペン先でノートを叩きながらもどかしそうな顔をしていた。

「少し、邪魔をしても良いか」

 ずっと角で静かにしていた校長が急に動いた。小さく挙げた掌が途方もなく大きく感じられて断ることもできない。発言を促すとその手でヒゲを撫でながらゆっくりと話し始めた。

「さきほど『おっぱいの機能』と『ファッションとしてのおっぱい』というテーマが上がったが、まだ他にも乳の価値観は残されているとは思わんかね。諸君らが話しづらいのもわかるが、乳はやはり『揉み心地』について検討されなければ片手落ちではあるまいか」

 男子一同から「おお……」と感嘆の声が起こった。黙れ、死ね。

 良識を持って然るべき大人が大真面目に語るような内容ではないからというだけでなく、「余計なことを」と思った。それについての議論は貧乳側が圧倒的に不利だからだ。押風くんの顔色にも焦りが浮かぶ。

「んなの、主観的なものじゃないっスか。検討する意味なんか無いっスよ」

「主観結構。優劣が明瞭でない両者の差はいかに『隣の芝が青く見えるか』という観点で観察し、他人の羨望に写し見たほうが当人で自覚する範囲を洗うよりも長所はクッキリと見えてこよう。しかしながらこの場で今更相手を褒め合うよう促すのも酷というもの。であれば、〝揉み心地〟を主観に任せて調査するのもまた答えに近づく手段ではなかろうか」

 しんと場が静まり返った。この会議に登場してからずっとそうだけれど、校長にどう反応していいものかさっぱりわからない。

「あのさあ校長、中学生男子にそういうこと聞くなんざ、それこそ酷ってもんでしょうが。批評するほど乳揉んだ経験なんかありゃしないんだから。あるならあるで教職としては穏やかに聞いていられねーし」

 沈黙を破ったのは旗先生だった。ため息で喋るかのようないつもの調子で続ける。

「洞貫、お前山切の乳揉んだことあんのか?」

「それが……無い」

 コーヘーはノートにぽたぽたと涙の粒を落としながら答えた。

「誤解を招くから悔しそうに言うな」

「とまあ、こんな有様で揉み心地についての議論のやりようなんてありゃあしませんて。それともサンプルに菊水と万畳の乳でも揉ませます? なら先生混ざりたいな」

「旗くん、聖職者として相応しい言動を心がけたまえ」

「あんたが言うかそれ。ならどうやって揉み心地を語らせようってんだ」

「あー、先生方。猥褻が駄目なら、女同士ならどうっスか。こう……あるっしょ? 脱衣所とか修学旅行の風呂で『○○ちゃん胸おっきー』みたいな流れ」

 にやけた顔で指をワキワキと動かす押風くんに心から軽蔑の念が湧く。

「ねえしそんな流れ」

「ええっ、無いの!」

 顔つきからして同じように感じていた菊水さんが冷たく返事をして、押風くんは目が飛び出さんばかりに驚いて椅子から転げ落ちた。校長は卒倒して泡を吹いている。

「……そうなのか?」

 ふと気がつけばコーヘーまでが血の気の引いた顔でこっちを見ていた。

「おいおい、山切に聞いてやるなよ可哀想に。万畳よりマシとはいえそんな対象に選ばれるわけねーだろ?」

 こちらで反応するよりも先に旗先生の嫌味な口調が軽やかに滑った。今は自分に対する侮辱よりも、千爽の様子のほうが気にかかる。

 千爽は大人しい。とはいえ落ち着いているわけではなく、微細な振動をくり返している。あまりに高速なせいで輪郭がぼやけて見え、耳を傾ければ高周波の音を発しているのがわかった。それに机から少し浮いているようだ。このままにしておけば生物として新しいステージに進みそうな気がする。この進化への挑戦を親友として応援すべきか、どうだろうか。

「僕は結構揉まれるけどなあ」

 机に積み上げたままのお菓子を胃の中へ片付けながら豊くんが言う。コーヘーが彼の胸を揉んでいるところを想像したら相当におぞましいのだけれど、本人は平気な風で食欲に支障は無いらしい。

 菊水さんが鼻を鳴らして一笑する。

「女同士だと近寄っても来ないっつーの」

「お前そうやって男の夢壊してやんなよ。校長、もう一息で死ぬぞ」

 旗先生が忠告する通り校長は床で静止していて生命力を失っている。心なしか体格が縮んでいるような気さえした。

「で、どうすんだ? サンプルだなんだって言い張って押風が好奇心に負けてここで菊水の乳を揉んだらその時点で負けだろうが。俺はそのほうが助かるけどな」

「ほれほれ」

 菊水さんは胸を誇示して揺らし押風くんに見せつける。

「そんなの誘惑にもならないっスよ」

 押風くんは一顧だにしない。伊達に貧乳席に座っていないという気概を見せてくれた。

「あっそ。じゃあ力づくで行こうかな」

 椅子を後へずらし菊水さんが立ち上った。眼差しは確かな決意で固まっている。

「ちょ……ちょっと? 馬鹿なことしないでよ?」

 声をかけると大人びた流し目で妖しい笑みが返ってきた。彼女が一体何をしようとしているかは、私が考えていたよりもずっとずっと馬鹿なことだったとすぐ知ることになった。

 ◇

 瞼は堅く閉じて指で覆い、耳に親指を入れて情報を遮断しようとしても物音は聞こえてくる。一つは押風くんの泣く声。小さい子供でもないのにめそめそとしゃくりあげる声が聞こえる。

「うひ、ちょっと……せめて手だけにしてよお」

「ん、意外にしょっぱい。だって普通こういうの揉むだけじゃ済まないじゃん」

 他の分については詳しく構いたくない。もういい加減に限界だ。色々と。

「ねえ! いつまでやってんのかな!」

「退屈ならあんたも一緒にやったらいいじゃん? 丁度二つあるし、ほら分けたげる」

 塞がった耳に聞こえるこもった声でも菊水さんが心底楽しんでいることは伝わった。

「それ続けてなにか役立つことがわかるわけでもないんだし。ていうか、いいからよしなさい! お、女の子なんだから」

「ふふっ、そうね」

 菊水さんの笑い声を最後に、弱々しく続いていた豊くんの悲鳴が止まる。それから充分な間を置いてから慎重に慎重に目を開いて状況を確認した。

 満足そうな顔で席に戻る菊水さんと半裸の豊くんと押風くん。豊くんはすぐにシャツを着て身なりを整え始めたけれど、押風くんはよほどショックだったのかたまに道に落ちているのを見かける軍手のようにぐったりと、茹で上がったモヤシのようにしんなりして床に横たわっている。泣き声はいつまでもやまない。

「始まった時はマジウザいと思ったけどサ、こんなに楽しいことになるなんて、チョーありえなくねー? あんたもいつまでも泣いてんじゃねえよ。失礼じゃん?」

 ここへ来て、こんなことで菊水さんのテンションが上がっている。

「……そんなに嫌だった?」

「そんなそんな、とんでもない。想像してたのとは逆だったけど僕はこういうのを期待してここに参加してるんだから、こうなってこそ本望だよ」

 一方豊くんは上気した顔を溌剌と輝かせている。彼の人物像について見解を改めたほうがよさそうだ。味方ではなく敵という範疇にも収まらず、校長と同じく理解の外の変質者だ。

「うわぁ、あんたそういう下心で参加してたんだ。サイテー、ウケる」

「女子がおっぱいについて話し合うなんて聞いて興奮しない男子のほうがおかしいよお。っていうか、みんなほんとは興味あるのに出てこないだけなんだ。ムッツリなんだよ」

「言えてる」

 菊水さんはなんの恐怖心もないようでゲラゲラ笑っているけれど、私は自分が置かれている環境がつくづく魔界であることを思い知って身震いをした。

「なんだったらもっとシテくれてもいいよ」

「やめてよアタシまで変態みたいじゃん。必要なことは確かめられたからもういいっつーの。駄肉だなんて言われたけど、あたしのおっぱいとあんたの本物の贅肉と比べたらやっぱり別物だってわかったから。あんたの模乳は用済み」

「舐める必要は、なかっただろぉ……? このビッチが」

 ようやく心を持ち直した押風くんが立ち上がって席へ戻る。とはいえ移動する足元はおぼつかず心細そうに制服の胸元を掻き合わせ俯いている。貧乳側の大幅な戦力ダウンは否めない。

「ムカついたんだからしょうがないじゃん。それに言っとくけどアタシはあんたと違って誰にも触らせたことなんてないかんね。ビッチなんて言われる筋合い無いっつーの」

「へえ、意外だねえ」

 感想は豊くんと同じだったので一人頷く。

「アンタ、ハッキリ言うね。まあいいけど。とにかくそういうわけだから、今この場であたしのを揉もうなんてのはお断りだし、揉ませて感想なんて聞いたことないかんね。体験談が無いのはそっちの万畳さんもおんなじでしょ。だからあんたらのを使ったの」

 自分を犠牲にするという精神がないことを責めるつもりはない。そんな高潔性はこの場ではあまりにも勿体ない。

「ただアタシとこのデブのおっぱいは別物だったけど、万畳さんのはその辺の男と変わらなくね? 壁撫でた感想集めたっておんなじだって」

 笑う菊水さんからの攻撃を受けて、これまで状態を維持していた千爽がぼんやりと光を放ち始めた。室内がいくらか明るくなったようだ。これはありがたい奇跡や絶対にエコエネルギーとは程遠いものだ。開放されたらきっと恐ろしいことになる。

 どうにか千爽の気が紛れるような方向へ話を持っていかなければ。

「議長は何かありませんか?」

 これと言って旗先生を信頼しているつもりはないけれど、ここぞという時に大人に助けを求めてしまうちっぽけな自分が悔しい。

「急にこっちかよ? そりゃ先生だから頼っちゃいかんとは言わんが」

 本校一、面倒見の悪い教師はやはり気だるく答え、それでも首を右左に曲げてストレッチしながら姿勢を正してここで初めてまっすぐ椅子に腰かけた。

「じゃ、先生から一言」

 咳払いを挟んで話し始める。

「今更本会議の趣旨を真っ向から否定するようなことを言わせてもらうが、俺自身は乳の大きさに好みが無い。むしろどうでもいいと思ってる。だからこのアンケートに出てるような、どちら側の支持者の意見も俺に言わせりゃクソくだらない。

 だが話は巨乳派に有利だ。その理由は『貧乳を選ぶ根拠が薄い』からだ。アンケート結果にも現れてはいるが、この数字は正確な貧乳派の割合を表わしてはいない。というのは、貧乳支持の中には不純物、『巨乳支持しない俺カッコイイ』というグループが紛れ込んでいるからだ。『女を見た目で選ばない硬派な自分』と思い込みたいんだよそいつらは。こう言った以上わかると思うが、そういう奴の意識にこそ『乳は大きいほうが上』という価値観が確立されている。『俺は巨乳が好きです』と述べる際のこのどうしようもない〝クソバカアホマヌケ感〟を回避する為に『俺は貧乳が好きです』と言わざるを得ないわけだ。

 だが、ここで冷静に考えてみろ。『貧乳が好きです』と誰かが真面目に言っていると考えてみろ。これはこれで変態だろ。

 と、いうように、わざわざ貧乳を選択する健康的な動機はほとんど無いと言える。例外を挙げるとしたら貧乳の造形を気に入った連中だ。それを否定することは難しい。が、造形を気に入るだけなら巨乳側にも同じことが起こりうるので、貧乳側に支持が集まるという話にはならない」

 堰を切ったように、というほどの勢いはない。相も変わらず憂鬱そうな物言いで、だがスラスラと流れて止まる様子がない。圧倒されてしまった。

「『胸の小さいことを気にしているところがイイ』という意見がある。他人がコンプレックスに苦しむ様子を見て自分の悦びにする変態の言葉だ。

 女性に恥じらいの精神を大切にして欲しいと望む傾向は珍しいもんじゃないが、これは乳の大きさには関係が無いことだ。それに羞恥心なんてのは同じシチュエーションを繰り返すうちにどうしたってそのうち薄れちまう。そうなれば貧乳そのものは変化しなくとも貧乳支持のモチベーションは下がる、としたらそれは本当に貧乳支持か? 何か違う別のフェチズムだと言えるんじゃないか? 

 さっき押風が機能美という点に触れたが、それに見合うものなら巨乳側だって持っている。簡素さに魅力が生まれるからと言って逆に飾り立てれば魅力が生まれないということにはならないからな。『乳は膨らんでいる』という〝様式美〟という言い方をしてもいい。

 また『貧乳はステータス、希少価値』という意見もある。こんなのは言うまでもないことだがお前たち身の周りを思い浮かべて本当に貧乳が希少かどうか――」

「もうヤメテェ!」

 悲鳴を上げたのは千爽だった。発光と振動を続けていた彼女が座禅の足を解いて机上に両手をつき泣き崩れている。

「千爽っ!」

 親友の傷ついた姿を見ているのは辛い。もうこれ以上矢表に立たせておくことも出来ず駆け寄ってひしと抱き締めた。

「本当にもうやめてください! ずっとやる気なかったのにどうしたって急に?」

「お前に司会任せといたらいつまでかかるかわかんねえからさ、どっちか片方を反論する気力を失くすまで叩き潰せば話し合いはとりあえず終わるだろ?」

「そんな……」

 目的を会議の閉会だけに絞ればそれが正しい。しかしそれでは犠牲になった千爽は、打ちのめされた側は今後どう生活していけばいいのか。第一それでは平等を敷くことができずコーヘーが納得しない。

 千爽をここへ呼んだのは自分なので、その結果傷ついた彼女を見て怒るのは筋が違う話かもしれない。犠牲になることはわかっていた。そのつもりで呼んだ。

 それでもけっしてそうしたいわけじゃあなかった。自分のせいだとわかっていてもここで怒らなければそれこそ真の不義理になると信じる。自分を守る為に今これを見過ごさなければいけないくらいなら、私はもう自分の正しさなんか求めない。二度と胸を張れない日陰者に堕ちても構わない。

 ところが、私が感情で動くよりも千爽が立ち直るほうが早かった。

「終わらせるですって? そんな結論で終わらせられてたまるもんですか……。いいえ、別に終わってもいいわ。会議なんかどうだっていい」

 立ち直ってはいなかった。私の腕を解き机から下りる千爽の顔は寸分の余裕もなくして引くついている。

「大体、女の胸のことばっかり言ってるけど、あんたらにも大小を比べてコンプレックスになるものはあるでしょうが。ちんちん! ちんちんについて話しなさい! 出すなら揉ん――」

 大声で喚き散らし始めた千爽だったが、みるみる勢いは陰り背中も丸まってその場にへたり込んでしまった。

「ちが……私、こんなこと言いたいわけじゃ……」

 顔を塞ぐ手を越してすすり泣く声が聞こえる。誰がどう見てもこれ以上は無理だ。

「いや、ちんちんは比べたりするもんじゃあないんだ」

「その話題はタブーっスよ」

「お腹で隠れるからもう何年も見てない」

 勝手なことを言って内股になっている男子一同を爪先で蹴り上げて回りたい気持ちを抑え、私は進行役として行なうべき務めを思い出す。

「一時閉会します。再開は追って連絡するからそれまで参加者の間で本件について勝手に話し合わないこと、よろしいですね。それから書記、さっきの千爽の発言は議事録から削除しといて」

 頷きと共にノートに消しゴムがかけられる。それで傷が癒えるわけでもない。この会議で壊されたもの以上の何かを生むことはできたかどうか、自信は持てなかった。

 ◇

 糖分の頂を目指すことを教義に置いた宗教施設〝シュガーまみれ〟は学校近くに位置することから放課後には同じ制服の女子生徒でいつも賑わう、はずなのだけれど、今日に限ってはがらんと空いてしまっていた。みんな入り口あたりでこちらを見つけるなり足の向きを戻して通学路に復帰して行く。

 ピンクハウスで着飾ったフリフリのまんまるい店長が表を見て不思議そうに首を傾げるのはこれでもう三度目で、私はいい加減に申し訳なさでここに居辛くなってきた。

「ねえ、せめてもうちょっと店の奥に入らない?」

 そして布でも被って隠れていよう、というところまで提案したいのが本音だ。学校関係者ではないシュガーまみれ店長は知らないから歓迎してくれるけれど、この席は不穏過ぎる。

「はぁ? 何でよ。ここでまたなにに気を遣わなきゃいけないっての」

 バニラアイスを陶製のスプーンで掬う、向かいの千爽は険悪な声で唸った。休み時間の度に会いに行って話しかけたものの、放課後の今もまるで機嫌は直らなかった。まだ怒っている。

「ただ甘いもの食べに来ただけなんだからどこに座ったっていいでしょうが。それとも何? 奥に進んだら男子がいて二回戦開始とかそいういう趣向なわけ? 私がもう会議に参加しないと思って、あんたそんな卑怯な――」

「ないないそんなことしない! ごめんってば、もういいから食べててよ」

 必死で否定するとどうにか立ち上がりかけた千爽は腰を戻した。一度下ろしたスプーンを手に取って口へ運ぶと、一瞬で顔が緩んで笑顔になる。この可愛さがあるから千爽の親友はやめられない。

 千爽はこのシュガーまみれの全メニューを大喜びで制覇するレベルの大甘党だ。

「うん、おいしー」

 今日のことを怒ってはいるけれどこうしてシュガーまみれについて来てくれた。奢る約束をしたからだとしてもあとで費用だけ請求してもよかったはずで、トッピングは全盛りでなくハチミツ・チョコレートのソースハーフだけと手加減もしてくれている。あんなことがあったというのに関係はまだ断絶には至っていないとわかって安心した。

「あんたらさあ……よく平気でそんなの食べられるね」

 丸くて白いテーブルには椅子がもうひとつ。座っているのは菊水さんだ。信じられない、といった顔でテーブルの上に届いている注文の品々を眺めていた。

 目の前にはチョコパウダーがけの甘みたっぷりパウンドケーキがある。千爽には及ばないけれど私も甘党だ。というより、学校の女子はほとんどシュガーまみれびいきという認識で間違っていないと思う。

「あれ、菊水さんって甘いもの苦手?」

「いやフツーにチョー好きだけど……カロリー気になんないの?」

「肉になる前に燃やし尽くせばいい」

 にこにこ顔の千爽の返事に同調して頷くと菊水さんはますます呆れ顔になった。

「そういやあんたら体育会系だっけ。で、今日部活はサボり?」

「まあ、そういうことになっちゃうかな」

 反論はできない。部活に不熱心というわけではないのだけれど今日ばかりは休んだ。

 とにかく千爽の精神ゲージを回復させないことには剣道部内に死傷者が出るのは間違いなく、隣の空手部にも――というより私目掛けて何か飛んできそうだったからだ。武道場には木刀があるので非常に危ない。

「いいなあ。アタシ体動かすと胸が痛くってさあ」

 確かに菊水さんの場合、例えば剣道の胴を身に付けるにも不都合がある。

 だがなぜここでまたその話題を出すのか。千爽のつるつるの眉間に浅く皺が寄るのを見て、自分の口へ入れるつもりでいたスプーンの行き先を千爽のほうへやることにした。

「はいアーン」

 千爽は反射的に食いつき、たちまち表情が和らいだ。皺も消える。私の親友は可愛い。

 これと同じことを会議の時にもできたらよかった。あの時にも豊くんが持ち込んだお菓子がたくさんありはしたものの、千爽の瞑想を解いてまで試す勇気がなかった。

 今この様子を見ながら振り返れば、やっておけばよかったかなと落胆する。いや、ひとまず落ち着いている今と違って興奮の最中にあったあの時では「馬鹿にするな」と火に油だっただろう。

「アンタたち仲良いね」

 菊水さんはつまらなそうにフンと鼻を鳴らして自分の前に置かれたコップを手に取って口へ運んだ。

 あ、と気がつく。

「それ水じゃないよ。ガムシロップ」

 注意は遅かった。菊水さんは体を捻って下を向き激しく咽ている。粘液なのでたくさん喉に入ったということはないにしてもびっくりしたに違いない。席に座るだけでシロップがまるで水のようにコップに注がれ運ばれるこの店のルールに私たちは慣れているけれど、菊水さんはどうやら初めてらしかった。

「なにこの店、チョーありえないんだケド!」

「え、なにあんた、ここ来たことないの?」

 千爽は驚き、菊水さんは涙目の無言で頷く。

 男子と一緒に過ごすことが多い菊水さんには来る機会がなかったとしても不自然じゃない。この店で見かける男と言えば彼女に付き合わされたカップルの彼氏さんを除けば豊くんと、あとは店長だけだ。

 新たに注文したフルーツジュースに菊水さんは恐る恐る口をつけ、罠でないと分かると少量口に含んで飲み干した。それでようやく咳が落ち着く。

「あー……ちょっと気管のほうに入った。っていうかなに、もしかして水は超高い別料金とか、そういう仕組みで儲かってる店なワケ?」

 疑いの眼差しが夕方で髭が存在を主張し始めている店長へ向けられる。

「この店、カロリーが無い物は出てこないの」

「なんちゅー変な店。なんであんたらフツーに適応してるの」

「え、なに?」

 キャラメルコートされたポテトチップをシロップに浸して口へ持っていくと、千爽はうっとり頬をピンクに染めて小さく唇を開いて何度も何度も受け入れては頬を膨らませていく。

 こうしておけば菊水さんに絡むようなこともない、と心配をしているわけでもないけれど、千爽が幸せそうで可愛いので続けている。

「それとこの店のルールはもうひとつ、ここでは辛いものとしょっぱいものの話は厳禁ね。じゃないとつまみ出されるから」

「酸っぱいのはいいワケ?」

「恋の味だからいいんだってさ」

「ワケわかんねー」

 そうやって呆れて見せながらも菊水さんは席を立たずにいる。

 千爽とは約束していたけれど、また揉めないとも限らない菊水さんを誘うつもりまではなかった。それがここでこうしている理由は下校時昇降口で見かけた彼女に挨拶して帰ろうとすると、菊水さんのほうからそれまで楽しそうに話していた男子たちを振り切って私たちについて来たからだった。

 てっきり千爽にちょっかいをかけて弄ぶつもりなのだと警戒もしたのに、どうやらそういうわけでもないらしい。

(もしかして、菊水さんって……)

 ふと、気になって質問してみることにした。

「ねえ、菊水さんはどうしてあの会議に参加したの?」

「どうしてって、あんたが私を誘ったんでしょうが」

 それはきっかけでしかない。第一断ることもできたのに、あっさり「いーけど」と答えた理由があるはずだ。あの場の不快さは女子ならば誰でも身に染みることで、予想もできた。いつでも出て行けた彼女が最後までそうしなかった理由はなんだろう。

 もし貧乳派を叩き潰す狙いがあるのなら、今ここで千爽や私がお菓子を食べるところを大人しく眺めていたりはしない。

「それを言うならアンタこそなんでよ」

「え? ……だって司会進行だし」

 千爽に問い返されて面食らった。

「洞貫くんが引き下がらないっていうんなら、卒業するまでずっとボコボコにし続けたらいいだけでしょ。幼馴染だろうと、本気で縁を切ろうと思ったらできないわけない」

 縁が切れるまでボコボコにする。さらりと挙げられた恐ろしい提案はその気になれば実行できたことだ。千爽にとっても。

「言っとくけど、私がそれをやらずにあんな邪悪な会合の拷問に耐えたのはあんたとの美しい友情の為だからね。自分で言うけど、私は友情に厚いから今後も懲りずに最後まで付き合うから、そのつもりでいなさい。結果が期待通りかは約束できないけど」

 じんとくるほど千爽の言葉が頼もしい。

「だからそっちももうちょっと私に対して真摯になってくれたっていいんじゃない? どうして洞貫くんに協力するのか、その理由を話して」

 どうしてあんな会議を開いたのかについては最中でも一度怒られたけれど、それは迷惑を被ったからだけじゃあなかったのかもしれない。友達として打ち明けなかった、それを怒っていたのかもしれない。

「え、あのバカと付き合ってるからじゃねーの?」

 当たり前のことのように菊水さんが言うのを聞いて思わずスプーンを落とした。

「えっ、ちょ――はぁ? 何言ってんのバッカじゃねバッカじゃね」

 自分が何を口走っているのか把握できない。動揺を自覚してはいても抑えられそうになかった。体が熱くなり手や顔から汗が吹き出て、シュガーまみれに来て摂取したカロリーが一気に熱に変わっているようだった。

「だってあんたらいっつも一緒にいるじゃん。付き合ってないならなに、あんたの片思い? ウケる」

「はぁー? だから、はぁー?」

 私の心情とは対極的に、千爽は冷淡なまでに落ち着き払っていた。背筋を伸ばして腕組みし、ほとんど閉じているような薄目で私を見ている。私の返事を待っている。

 照れている場合じゃあない。今は誠意を返す時だと思ったけれど、胸中をそのまま言葉にしようとすれば口はたちまち強張って思うように動かず、体温はますます上がった。

「か――勘弁してください……」

 ようやく言えたのはそれだけだった。わかっている。私とコーヘーの埋まらない距離、畑ひとつ分は何よりまず私の意気地の無さだ。

「ふーん……ま、よしとしましょう」

 千爽は鼻息をふんと吹いてから笑い、髪がぐしゃぐしゃになるまで私の頭を乱暴に撫でた。

「そんな事情でもないと、あんなめんどくさいのに付き合う義理ないってね」

「あのさ……散々迷惑かけといてなんだけど、いくら千爽でもコーヘーのこと悪く言うのやめてくれる? 腹立つから、一応」

 まだ体温は上がったままでつい早口になってしまうけれど、するつもりのなかった情報公開を経て私は少し素直になれたように思えた。手放した平常心は永遠に戻ってこないのではという不安はあるけれど。

「これは贔屓目かもしれないけど、あいつが騒動起こしたあとはちょっと良いことがあるって、ちょっとだけ期待してるんだ」

 昔あった「学校でのうんこ騒動」の時は鎮静化したあと、なぜか私のところに匿名でいくつか感謝の手紙が寄せられた。胃腸が弱い生徒にとっては大変な助けになったらしい。個人的にも馬鹿馬鹿しい風習がなくなってよかったと思う。

「ちゃんと最後まで付き合ってあげるわよ。そうしたらあんたのカレシがどうにかしてくれるんでしょ?」

「カレシじゃないけど……」

 逆に言えばなにか良い風にまとまらないことには収拾をつけようがない。この状況ではそれを奇跡と呼ぶのかもしれないけれど。

「え、なんで? さっさと付き合っちゃえばいいじゃん。あんたらいつも一緒にいるんだからあとは一線越えるかどうかだけっしょ」

 あっけらかんと菊水さんは言う。まだそこに食いついてくるか。

「そんな、言われるほど一緒にいるかな。今はクラスも違うし」

 特別そんなつもりはない。思い返してみようとも思ったけれど、今コーヘーのことを考えるのは照れが出てしまって駄目だ。

「とにかく今はそういう話をする時じゃないから」

「そお? 誰が誰を好きって、それだけでいーんじゃね? あんなアンケートなんてチョーどーでもいいじゃん。誰がどんなおっぱいを好きなんて知ったこっちゃねーっつーの、ほっとけっつーの。大事なのは好きなオトコが自分を見てるかどうかじゃん?」

 反論が無い。心から菊水さんに賛同する。でもそれではコーヘーは納得しない。

「そこら辺どうなの? あんたのカレシはビョードーみたいなこと言ってるけどサ、実際あいつどっちが好きなん? んで、好みが巨乳だったらあんた諦めんの?」

「コーヘーが何考えてるかなんて……わかんないから」

 憶えている限り一番古いコーヘーの起こした騒動は小学校に上がってからの「男子と女子が混ざって遊ぶとからかわれる」という風習に対しての戦いだ。あれでコーヘーが勝っていなければ私たちは今ほど自然には一緒にいられなかったかもしれない。

 といってもそもそもあの戦いのせいで私とコーヘーの間で〝異性〟としての線は曖昧になっている。

 私の気持ちをコーヘーが受け入れてくれたとして、関係が変われば今までの自分ではいられない。変化に耐えられるだろうか。コーヘーは許容するだろうか。

 自問にかまけて放心している間に場は妙なことになっていた。

 三人、男子がこのシュガーまみれに入ってきている。かといってテーブルを選んでどこかへ座るでもなく、近くへ来て立ち止まった。

「なー、こんなとこでなにやってんの?」

 菊水さんの知り合いらしい。顔くらいは見たことがある。いずれにしろ、こんな所というなら彼らのほうがこのシュガーまみれには不似合いだ。

「なんかくだらねーことに巻き込まれたんだって?」

 本当にくだらないと思う。菊水さんには気の毒なことになっているとも思う。それでも今は申し訳ない気分にはなれなかった。

(なに、コイツら)

 馴れ馴れしい態度と無遠慮な視線が不快だ。

「困ってんなら言ってくれりゃいいのに」

 菊水さんに話しながら横目で私や千爽を見る彼らのにやつきが、彼ら自身もまたコーヘーが引き起こした騒動の延長であると予感させる。備えておいたほうがよさそうだ。

 目配せしようとすると、千爽は冷ややかな半眼を何も無い真正面へ投げていた。眼に宿る凄みから計れば心構えは充分以上にできているようだ。触れらば落とすとカウンターを狙っている。

 これはこれでマズい。これがコーヘーの起こした騒動から続く問題なら、なんとかしなくては。

「えーと! 何の用? 何か頼む?」

 貼り付けた愛想笑いで武装する。

「あ? うっせーよ貧乳」

 鉄骨の軋む音を聞いたような気がした。昔家族旅行で乗ったフェリーで夜中に客室を抜け出し聞いた船体の軋む音。その時の不安を蘇えらせるそれが正常にしろ幻聴にしろ超常にしろ、発生元は千爽だと確信できる。

「しょうもないことで他人巻き込んでんじゃねえよ貧乳。お前らが女としての魅力で菊水に敵うわけねーだろ? おい、なんだよ。目も合わせられないのか? そんなに罪悪感あるなら最初からやるんじゃねーよ!」

 目の前の相手をまっすぐに見返さない理由はもちろん気圧されているからじゃあない。隣で余程危険な殺気を放っている千爽を監視する為だ。彼らの人生に幕が下りようと構わないけれど、千爽を犯罪者にするわけにはいかない。

(それに貧乳なせいで絡まれて暴力事件、なんて聞いたらコーヘーがますます使命感に燃えちゃう)

 それが一番の理由でであることは千爽に対して申し訳なく思う。

「ったく……こんなんなら、あのデブのほうが百倍マシだっつーの」

 嘆息を聞いて注意が千爽から逸れた。ぼやきに聞こえる言葉を吐くのは菊水さんで、彼女が顔を歪めて辛そうにする様子が不似合いに思えて胸に刺さった。

 そしてすぐに、次の衝撃に襲われた。

 菊水さんがテーブルのコップを掴みその中身を男子に浴びせつけた。

「なにすんだよ!」

「うっせ。女子会の邪魔すんな」

 強気な行動とは裏腹な涙目で更に驚かされた。

 これには男子たちも怯んだようだ。彼らにしてみれば菊水さんに加勢するつもりでここに来たのだろうから、このあべこべの対応はさぞ心外だろう。こっちも驚いて、自分の怒りも忘れ目を丸くする千爽と顔を見合わせた。

「んだよ! ワッケわかんねえ! つーかなんだこれ、甘ぇ!」

 男子たちは怒って出て行き、店内には静寂が戻った。痛いくらいに静かだ。少しすれば居心地の悪さから菊水さんは席を立ってしまうかもしれない。

「ねえ、あなたも何か頼まない? ――美朱」

 テーブルに手を置いてもうほとんど腰を浮かせていた菊水さん、いや――美朱はぽかんと口を開けてその脱力のまま重力に従い再び着席する。

 会議に参加したこと、ここシュガーまみれについて来たこと、男子たちを追い払ったこと。多分、彼女は友達が欲しかったんだと思う。

「ね、一緒に食べようよ。奢るし」

「えっと、ああそうね……」

 差し出したメニュー表で顔を隠す美朱は耳まで赤くなっているけれど、私も同じようなザマになっていると思う。顔が熱い。本当には親しみ深くない相手を名前を呼んだ思い切りのせいと、自分がひどくかっこつけた振る舞いをしているような気がして恥ずかしかった。

「初心者なら2甘くらいがいいんじゃない?」

 千爽も話に加わり三人でメニューを吟味する。私たちは全て頭に入っているのでメニュー表は必要無い。

 今後進行役として例の会議を動かすうえで、親しい素振りで参加者に近づくのは偽善を越えて卑劣と言えるかもしれない。けれど誰かにそれについて責められたら「それとは無関係」と胸を張って言おう。

 なぜなら新しく友達ができた今のこの時間は、ただただ楽しいひとときだった。

 ◇

 男子との悶着が怖かったらしくカウンターの裏で(とてもとてもスケールの大きな)小動物のように震えていた店長から掃除用具を借りてシロップをぶちまけた床を掃除し終える頃には美朱の赤面は納まっていた。

 でもそれは落ち着いたからではなくて、これから話すことが気持ちを落ち込ませるせいだと物憂げな顔つきを見ていてわかった。

「会議のことだけど、アタシにも色々思うことはあるワケよ。あんたらとはまた違う悩みがサ。あんたら、あたしの第一印象どんなだった?」

「胸のでかい馬鹿女」

 横を向いて足を組みツンとした顔で千爽が言う。容赦の無い物言いだけれど私にしてもそれと大差はない。

「そんなもんだしょ」

 美朱はそれを聞いて寂しさを匂わせる弱々しさで笑った。

「それが第一印象ってもんだからしょうがないけどサ。デブがなにやってたってデブなように、あたしがどんな人間でも特徴は胸のデカさから変わらないんだ。そりゃ女の魅力としては大きいのかもしんないけど、そこから先なんにも見てもらえないってのは、正直しんどいよ」

 彼女の胸に釣られて近づいてくる男は、つまりそれ自体を目的としているのならその他は余計なおまけとして関心は完結している。事実がそうでないとしても美朱はそのことでずっと悩んでいるんだろう。

「バッカじゃないの。そんなんで寄ってくる男なんかどうせロクなもんじゃないんだから、全部袖にしちゃえばいいでしょうが。ハーレム願望でもあるの?」

 千爽が吐き捨てるように言い、美朱もムッとした顔で食ってかかる。

「だから私はまだ処女だっつーの。一応好意で近づいてくる相手に冷たくできるほどあたし強くないっつーの。他に選ぶ相手いないし」

 二人が言い合っているせいでまたカウンターに隠れた店長を可哀想に思いながらも、意識しても表情を抑えきれなくなってきた。やり取りを見ていると顔が綻んでしまう。

 確かに言い争っている様は会議の時と何も変わらないけれど、今はずっと素直な態度で二人とも接している。巨乳と貧乳という看板を取り払った個人として。

「女子と仲良くすりゃいいでしょうが」

「近づいて来ないんだからしょうがないじゃん」

「あんたから寄っていきゃいいでしょうが」

「んなコトできないっつーの。思春期ナメんな」

「今日はできたでしょうが」

 ぎょっとした顔で美朱の反論が止まる。沈黙の間に千爽は組んでいた足を解き正面に向き直る。

「仲良くできてるでしょうが。ねえ、美朱?」

「なフっ」

 更にもう一段仰天した美朱は目を剥き椅子に背を預けて体を引く。千爽にもニヤニヤ笑いが出始めた。

「他にいないんじゃあしょうがない、私たちが友達になってあげようじゃないの」

「……こっちにだって選ぶ権利くらいあるっつーの」

「選んでここに来てるのに、あんたはまずそれを認めなさいよ」

 言葉は変わらず刺々しいけれど憎悪は無い。美朱の隠しきれない照れ顔がそれを証明している。

「アンタ、性格悪いね」

「そっちに合わせてあげてんのよ。感謝なさい」

 ただでさえ他人を理解しその心を慮ることは困難なことでありながら、決定的に違う特徴を持った二人が友情を築こうとしている。これを見せるだけでコーヘーを納得させる決定的な論証になるんじゃないだろうか。そう確信するまでには至らない程度にこのふたりは不器用でへそ曲がりだけれど、私にとってはたまらなく愛しいというだけで価値のある光景だった。

 ◇

「お、やってるねえ」

 私たちが店に入って以来初めてちゃんとした客が現われた。私たちに気付いても臆することなく桃色の店内へ踏み込んでくる。それもそのはず、豊くんだ。

「1ポンドシュガー、ロックで」

 カウンター席に着くなり発した注文を聞いて私と千爽は揃って首を傾げメニュー表を覗き込んだものの、豊くんが頼んだ注文はどこにも書かれていない。相当な常連らしいので、いわゆる裏メニューというやつだろうか。

 すぐに運ばれてきた皿を見て目を疑った。大きな角砂糖が丸々乗っている。砂糖ひとつまみではなく、ひと掴み(・・・・)といった有様だ。

「なるほど、ロックね。見事にカタマリだわ、うひぇー」

 大の甘党の千爽もあれにはついていけないようで顔を引きつらせている。

 料理(と呼んでいいか疑わしいもの)を運んできた店長は常連の登場を喜んで復活している。

「いつもならマシュマロに包んで食べるくせに、知り合いの女の子が見てるからってカッコつけちゃって、マンちゃんも男の子なのねえ?」

「やめてよ店長、そういうこと言うの。僕はカロリーと添い遂げると決めた男だよ」

 からかわれた豊くんは動揺している。店長によるとあれは「異性を意識してカッコつけた注文」になるらしいけれど、私たちにしてみれば異文化にきょとんとする他ない。

「美朱、あれ挑戦してきたら?」

「ないわー。っていうか、『マンちゃん』って」

「さすが年間パスユーザー。ヒドい」

「あの二人顔似てない? ここが自分ん家とかそういうやつ?」

「あれはある程度太ったら誰でもおんなじ風になる、宿命の顔でしょ」

 好き放題言われているけれど当人はどこ吹く風で器用にスライスした砂糖をご満悦で頬張っている。

「豊くん、そういう裏メニューって他にどういうのがあるの?」

「焼いて焦げ目を付けた砂糖のステーキと焙って刻んだ砂糖のタタキと砂糖のラードフォンデュがあるよ」

 聞いているだけで明日の食欲まで持っていかれそうだ。

「裏メニューって言うか、店長の創作意欲を刺激すればテキトーに言った注文でも作ってくれるよ。これもそうだし」

「いや、それ創作してないでしょ。砂糖のまんまだし」

「ねえ、どうせならあんたもこっち来て食べたらいいじゃん」

 美朱が豊くんに声をかけた。さすが男子慣れしている、と千爽は驚いたようだったけれど私はちっとも意外には思わない。豊くんは自分のナイト様だ。

「僕はこっちでいいよ。僕、普通の椅子には座れないから」

 彼のお尻の下にあるのは椅子ではなく公園の入り口にあるような〝車止め〟に似た金属のバーだった。見ればカウンター席はみんなそれと同じものになっている。豊くんのように〝大柄〟というより〝小兵〟な客向けの特別シートなのだろう。

「ああ、そういや会議の時もパイプ椅子二つ並べて座ってたっけ。二つに割れてるから左右一個ずつって? オケツに優しいね」

 下品だけれど、千爽の物言いがおかしくて私と美朱は声を上げて笑った。

「ふたりは部活どうしたの? 空手と剣道だよね。やっぱり女子部員とギスギスするから休んだ? 僕がそうなんだけど」

「あれ、豊くんって部活入ってるの?」

 横で千爽と美朱が「相撲部」「どすこい」と呟いたのを聞いて吹き出しそうになるのを堪える。笑ったら豊くんに悪い。因みにうちの学校に相撲部は無い。

「演劇部、の裏方。ほとんど女子だからねえ。表立ってなにがどうってことはないんだけど……普段通りのグループで固まらないというか、みんなそれぞれ様子を窺って当たらず触らずわざと孤立しようとしてるような気がしたかなあ」

 それは私も感じていたことだ。やはり校内は緊張状態にあるらしい。証言者が甘味を食べ食べ笑顔で話すせいで危機感は生まれづらいけれど。

「あれ、部活入ってるなら、コーヘーが運動部と文化部の備品入れ替えた事件には巻き込まれなかったの?」

「ああ、なかったよ。うちって元々色んなものが置いてあるからねえ。他所の部から借りるようなことも多いし。何を入れ替えたらいいか困ったんじゃない?」

 徹底しないのはコーヘーらしくない気がするけれど、一応納得する。

「僕がおっぱい会議に参加してるのは知られてるし、急ぎの力仕事も無いから早めに切り上げて抜けてきたんだあ」

「それは間違っている!」

 方々に迷惑をかけていると改めて罪悪感に浸っていると、馴染んだ声が鼓膜を叩いた。

 うわあ、出た。

「お前たちは間違っている! なぜ周囲の反応に気を遣い衝突を避けて遠ざかろうとするのか? 取り組め! そうやって逃げていてはいつまで経っても苦しいままだぞ!」

 声色に憤りを標準装備の、よく通る声がシュガーまみれ店内に響き渡って店長はまたまたカウンターに隠れた。

「息を潜めていれば危機は去り状況は改善するか? しない。消極は何も救わない。黙っていても貧乳に対する世間の評価が向上することも無ければ、お前の胸が膨らむことは夢にもあり得ない!」

 じっと眼を見て力説された千爽がいきり立って立ち上がろうとするのを口にシロップを流し込んで阻止する。が、あっさり飲み干されただけで実力行使に及ばざるを得なくなった。

「それで、一体何が言いたいの?」

 コーヘーには千爽が発破をかけなくては動かないほど臆病な、扇動しなければ諦めそうなほど卑屈な被害者に見えているのだろうか。今こうして力いっぱい押さえつけていなければ暴れだすほどの猛威を発揮しているというのに。

「思うままに振る舞えと言っている。直ちに学校へと戻り部活動に励むといい。己を曲げるまでに外聞に耳を傾けても甲斐は無い! どこの誰がお前たちの何を妨害すると言うんだ? そんな者はどこにもいない。お前たちが自由の名の下に確立された一個人であるからには、そうでなくてはならない!」

 いつもいつでも言葉だけは力強い。同調できるわけではないけれど、提案自体には賛成できた。

「じゃあそうしようか」

 千爽から途轍もないプレッシャーを感じて直視できない。部活を中止して彼女をここへ連れて来ておきながら態度を変えるのは後ろめたくはあるけれど、心苦しくはない。なぜならこの転換はけっして利己的な動機からではないからだ。

「美朱、部活見学してみない?」

 入学後に選ばなかったのだから、何かきっかけでもなければ美朱はこのまま部活動に所属しないまま卒業するだろう。もちろんそれが実りの無い学校生活だとは言わないけれど、寂しさを感じているのならそれを解決する友達作りの場にはできるんじゃないだろうか。

「はぁ、なんで今?」

 当の美朱は不思議そうな顔をする。面倒くさそうですらあった。

 今の学校がとても友達作りどころではない緊張状態だと知っていれば無理もない反応だ。今暢気にお菓子(もしくは糖分そのもの)を食べているのもそれを避けたからだけれど、だがやはりそれは逃げなのだろう。コーヘーに言われて今更立ち向かいたい気持ちが起きている。

 この騒動で学校に居辛くなるようなら、コーヘーの心配する差別や不和が本当にあると認めることと等しい。

 理由はもう一つ、少し腹が立ってきた。

 ネットで珍事でも漁るかのようなスタンスでニヤついて傍観する男子。被害者面をしてまとまった女子。全員で当たり前に「そんなことは無い」と口を揃えていたらコーヘーが要らない正義感を滾らせる隙も無かった。

 コーヘーを止められなかった責任を無視して堂々としていられる立場でもないけれど、今がどういう状況であれ友達の為にできることがあるなら上等じゃないだろうか。

「ね、やってみようよ」

 何かを打倒すればそれで解決する爽快な戦場とは異なる魔界へと変貌した我らが学び舎で、そこに存在するものを〝敵〟と呼びたくはない。けれどもし子供らしい友達づくりという試みや楽しみを満喫させまいとする無意味な偏見があるのなら、それを叩き潰すのに遠慮はしない。

 ◇

 学校へ戻るとまず豊くんの案内で演劇部を訪れた。空手部・剣道部をあと回しにしたのは今体育会系の女子の群れに入っていくのが怖かったからではなくて普段触れない部活動に興味があったからだ。文化祭で劇を見る機会はあったけれど、文字通りの舞台裏と聞けば見てみたくもなる。

「へー、結構体も鍛えるんだ。ランニングだけなら運動部並だし」

 壁に貼ってあるトレーニング表を眺めて千爽が頷く。

 備品入れ替え事件の時、もしかするとコーヘーはこれを見て演劇部を対象から外したのかもしれなかった。運動部と文化部両方の性質を初めから持っているなら、入れ替えて体験させる狙いはそもそも意味を成さない。

「発声は肺活量がものを言うからねえ。それに本番では一回でいい演技でも、繰り返し練習する体力は必要だし」

 豊くんによると今もほとんどの部員はランニングやら発声練習やらで出払っているそうで、室内は閑散としている――はずなのだけれど、とにかく物が多くてそういう雰囲気でもない。部室というよりまるで倉庫だ。

「ランニングとか発声は外だし、芝居の練習は別に場所借りるんだ。ここは基本的に物を置いとくだけの場所だよ。揮発性の塗料なんかは美術部のほうへ置かせてもらったりもしてるし」

 実に混沌としている。立てかけられたカキワリや生徒用とは違う木製の机椅子に、牙が迫り出した南国風のお面。一番多いのはダンボール箱で、劇のタイトルらしい名前が書き付けられている。雑多ではあるもののどこに何があるかはわかるようになっているようだ。

 中々気付かなかったけれど、一見十畳くらいに見えていたこの部室はまだ横に続きがあった。積み上がったダンボールで形作られた門のような入口にかけられた布を手でよけて奥へ進むと、その先にはたくさんの衣装が並んでいた。ここはドレスルームで入り口の布は目隠しらしい。

「よかったら着てみる?」

「え、いいの?」

「他に体験してもらうようなこともないからねえ。女の子は釘打ったって面白くないでしょ?」

「でも、美朱は体験入部だからいいかもしれないけど……」

 部活を変えるつもりはない。千爽も同じだろう。

「いいよいいよ。ただ僕が着てみてほしいだけだし」

 そう言われると女として悪い気はしない。

 コーヘーも少しは関心を持ってくれているかと気にすれば、学校で合流した押風くんと一緒になって小道具の剣を手にポーズを決めている。こんなガキに期待しただけ馬鹿を見た。

「僕こっちで待ってるから衣装は好きに選んでね。いやあ、仕切りがあるとはいえ同じ部屋で女の子が着替えるなんて興奮するなあ。試着室の周りをウロウロするの好きなんだけど、僕もうほとんどの服屋は出入り禁止になってるからチャンス減っちゃって」

 かといってこの豊くんのように赤裸々な変態気質になられても困る。もしこれが男子の一般的な心の第二次成長ビフォー・アフターだったらどうしよう。

「で? あんたはなんで真っ先にソレなの」

 早速衣装を身につけると千爽に文句を付けられた。選んだのはオニギリを持った三角頭の不思議な怪獣の着ぐるみだ。

「だって、これはこれで着るチャンス少ないかなって思って。まんまと豊くんを喜ばせるのもなんか嫌だから、これなら制服脱がないでも着られるし」

「それはわかるけど。やめなさいムカつく」

 おどけてポーズをとって見せても千爽は納得してくれなかった。とは言え本気で不満に感じているわけもないらしく、チラチラと並んだドレスに気が行っている。

「着たいなら着ればいいのに」

 言えた義理じゃあないけれど、千爽は普段着飾ったりすることがまずない。ヘアピンに色がついていることだけがかろうじて発見できるオシャレで、それすら無くなれば黒縁眼鏡をかけて学級委員に立候補しそうな勢いが生まれる。

 本当ならヘアピンも黒になるはずだからファッションに興味が無いわけではないことは気付いていたけれど、それを難しい性格が抑え込んでいることもよくわかっている。この演劇部訪問が千爽にとっても良い機会になってくれたらいい。

「意地っ張り、気取り屋、見栄張り、堅物」

「なによいきなり」

「言われたくなかったら素直になって気に入ったの着なよ」

「怪獣に言われても説得力が無い」

「自分のポリシーに従ってこうなんだから、これはいいの」

 初めからそういう好奇心が薄いというのもあるけれど、工夫して着飾ったところで見せたい相手は仕切りの向こうで必殺技を繰り出しているので大変虚しい。怪獣で出て行ったほうが喜ぶに決まっている。

「え、へぁっ……ちょっとなにすんの!」

 言い合っている間、化粧道具を眺めていた美朱が行動を開始していた。問答無用で千爽を脱がしにかかっている。

「へっへっへ、大人しくしなねーちゃん。暴れると壁が崩れて男どもに見られるよ」

 体力で劣るハンディを口先で補い千爽の抵抗を封じていて感心した。甘味で吊るしか手段を持たなかった私よりもずっと扱いがうまい。

「ええっ、それはやめてよお」

 仕切りの向こうから野太い不満が聞こえた。

「御開帳はもちろん究極の楽しみではあるけど、見えないなら見えないなりの楽しみ方があるんだ。僕はまだ若いんだから、今のうちに色んなフェチズムを刺激しておきたいんだよ。これからどんな方向にでも成長する可能性を摘まないでほしいなあ」

 こんなくだらない内容にも係らず声は大真面目に緊張の滲んだもので益々呆れる。着ぐるみを選んだことは正しかった。

 同じく脱力していた千爽はその隙を突いた美朱にすっかり制服を脱がされてしまった。

「ひゃあ!」

 コンプレックスになるほど締まりに締まった身体はスポーツ用の下着がよく似合っている。色もグレーと想像を裏切らない地味さだ。

「え、いつもは更衣室とかでも豪快に着替えてるじゃない」

 高音を発してその場に屈み込むという意外な行動に出た千爽を見下ろして疑問をぶつけると赤面の涙目で睨み上げられた。

「自分で脱ぐのと無理矢理脱がされるのでは大違いでしょうが! あんたみたいにいつも隅っこでこそこそ着替える奴だけが羞恥心を持ってるわけじゃない。大体男子に聞こえるとこでそんなこと言うな!」

 これは私がデリカシーに欠けていたと反省に浸る前に、驚きで引き戻される。

「うひぇー、掌ごついくせにチョーすべすべじゃん! 運動部なら擦れてボロ雑巾だろうから馬鹿にしようと思ってたのに、これ毎日何人の生き血を浴びればこうなんの?」

「わわわっ! なんで、やめなさい!」

 膝を抱え込んで丸くなった千爽に美朱が圧し掛かるようにして覆い被さり、肌を撫で回している。

 体格で負けていても腕力差からしていいようにされるはずがない。けれど千爽は羞恥心からか自分からは手を出さずにひたすら小さく閉じようとしている。それで容赦してくれる相手ではない。

「皮下脂肪どこやった? わあ、これが腹筋! なんだここも合わせたら凹凸になるんじゃん? これ数に入れれば全部で8つで牛より多いんだから自信持ちなよ。いよっ、この多乳!」

「凸も凹も触るな! っていうかへこんではない! やーめてー!」

 どれだけ固く守ったとしても指一本通る隙間をなくすことはできない。対する美朱からすれば攻めどころはどこでもいいのだから、指が触れる度に腕を動かして阻もうとするだけ不毛だ。

「ほうほう、ほうほうほう!」

「やめ……やめてって!」

 なんだろうこのテンションは。

 千爽の白い肌に赤味が加わるほど虚ろに漏れる息は荒くなり、それに合わせて美朱の執着も熱を増していく。

 着ぐるみで視界が狭まっているせいで淫靡な光景を覗き見しているような気分になった。目を離すことはできず、悪だと自覚しながら傍観している。魅せられるまま誘惑に乗っている現状を正当化し、自分を卑劣な出歯亀と誹らずにいるためには適切な弁解を用意しなくてはならない。

 見張り。そう、見張りだ。それ以上は危険なギリギリのところで中止させる為にこうして見ている。なので合法、合法だ。

 自己肯定に成功して改めて破廉恥なショーの見物に集中しようとすると、憤怒の形相と視線が合わさった。責任を果たさないことを恨んでいるようだ。千爽の良好な血色の理由は恥辱と思っていたら激昂だったらしい。

「違うよ? これはけっして千爽を見捨ててるんじゃなくて……そうギリギリ、ギリギリ危険なところで止める為に敢えての様子見なの」

「様子見してないで危険を未然に防ぎなさいよ!」

「あ、はい。そうですよね」

 怒鳴りつけられて正気に返る。我ながらどうかしていた。

「でもねえ千爽、さっきのあんた見惚れるくらい色っぽかったよ」

「……嬉しくない」

 余計に小さくなった千爽に近付くと背中にへばりついていた美朱が剥がれて立った。なんとなく悪霊っぽい。

「さあ、次はアンタの番ね」

 目に宿る光の妖しさが抜けないことからもわかるように美朱は自分の欲望を引っ込めるつもりはないらしい。指をワキワキ動かしながらにじり寄ってくる。

「怒れる怪獣は愚かな人類の思い通りにはならないのだ。がおー」

 間合いへ入るかというところで美朱が前へ出した足へ体重がかかるのを読んで、前傾した首へ怪獣の頭を被せ動きを制する。

「うわっ、ナニコレ暗い!」

 前後が逆の被り物では何も見えない。当然美朱は視界を回復する為に怪獣の首を持ち上げようと、立ち止まって想定した動きをなぞる。

「あんぎゃー」

 被り物が浮いて美朱の顎が覗く瞬間を見計い突きを放った。着ぐるみで固められない拳は緩く手の甲で撫でるように顎先を掠める。

「イタ――あれ?」

 突きの為に床を蹴った動きでそのまま前進して崩れ落ちる美朱を抱き留める。目も口も間抜けに開いて、狙い通り意識が飛んでいた。

 極力加減はしたし着ぐるみというクッションもあるけれど、やはり気分はよくない。千爽のように弄ばれるわけには絶対にいかないので止むを得ない犠牲だと納得はしていても、こうして自分が作り出した被害を目の当たりにすれば胸が痛んだ。今日はこんなことばかり繰り返している。

「静かになったな。まずいことになってるんじゃあないか? 放ったままでいいのか」

「え、じゃあ突入して……そのまずいことになってるとこを見るんスか? 『無事を確かめる為の正当な行為だー』 とかって言ってその幕突き破って? 賛成するっス、ついて行くっスアニキ。まずいとこ見たいっス」

「ちょっと静かにしてよお、ここから良いとこかも知れないんだから」

 仕切りの向こうから男子どもの声が聞こえる。声色が真剣なのがまた気色悪い。

「平気だから入ってこないでね!」

 呼びかけて聞こえたため息はコーヘーのものではないと信じたい。

「ほら、いつまでも拗ねてないで」

 気を失ってノビている美朱を座らせ、足元でぐずる千爽の脇に手を差し込んで立ち上がらせる。非難がましく睨んでくるのを無視して、傍らのドレスを一着取って広げ千爽の肩に当てた。

「あんたならどれ着たって入らないってことはないだろうから、どれでも好きに選んだらいいのに。あ、ほらボタンでサイズ調整できるようになってるし。さすがに素材はちょっと安そうだけど、案外丁寧に作ってあるね」

「衣装の一部は被服部に作ってもらってるんだよ。ライトを浴びた時一番よく見えるようにっていうコンセプトだから、光沢があるのが多いでしょ? 近くでじっと見たら安っぽく見えても、舞台上では映えるんだよ」

 豊くんの説明を聞いて、一緒になって感心していた千爽がはっと我に返って押し当てられた衣装を突き返してきた。

「私は部活見学に同席しているだけで、それ以上付き合うつもりはないから」

 頑固に意地張りの姿勢を持ち直して見せても視線はドレスに釘付けだ。そういうところもわかっていれば可愛いとしか思えないけれど、一見するだけではそうはいかない。千爽を生真面目で付き合いづらいと感じている生徒はきっと多いはずだ。

 私はそれを歯痒く思っても口に出したことはなかった。「こうしたほうがいいと思う」なんて意見はそれが正解であろうと押し付けでしかないからだ。友情が壊れるのを恐れて今まで何もしてこなかった。

「うるさい、着ろ」

 強く言うと千爽は目を丸くして固まった。強引に押し付けてドレスを握らせる。

「好きなことしようよ。自分を変えないのは自由だけどさ、それって達成して楽しいことじゃないでしょ? だったら楽しいチャレンジをして、我慢はやめようよ」

 全ての人間が幸せに向かって全速力で走っていく世の中しか認めないコーヘーなら、板を一枚挟んだ怠慢な友情はいっそ壊れてしまえと言うだろう。

 千爽との友情は本物だと信じている。こんなことで壊れたりはしない。

 ひたすら迷惑なコーヘーの騒動も終わってしまえば前よりも状況は少し良くなる。だから、千爽も今より素敵に変われる。

「あう。その……カワイイのがいい」

 長い沈黙のあとぼそぼそと口先で呟いた千爽は葛藤で頬を染めていて、私は小さく指差した先にあるピンク色の衣装を手に取った。

 これも胸を張って言えるけれど、私の親友はもう充分可愛い。

 ◇

「それいいじゃん。こっちのリボンと付け替えてみたら?」

「え、ちゃんとそのままにしといたほうがいいんじゃないかな」

「まさか校則とか気にしてんの? 意味ないじゃん、ただのコスプレなのに」

 千爽は目を覚ました美朱と一緒にファッションショーを楽しんでいる。着替える・鏡の前に立つ・はにかむ、一連の流れのくり返し。

 衣装の中に近隣他校の制服が一揃い見つかって、二人は今それをとっかえひっかえして盛り上がっていた。

 なぜここに他校の制服があるかについては嫌な予感が働いて仕方ない。芝居でわざわざ他校の制服を使うとも思えず、それも女子制服ばかりなのでさては被服部にも豊くんと共感する情熱家がいるに違いなかった。

「だって制服は普通にしてるのが一番よく見えるようにデザインされてるでしょ?」

「ウケる、なにそれどこの生活指導に吹き込まれたの。そのデザインした誰か・発注した誰かにとっての〝一番〟が自分にも〝一番〟合うんだって本気で信じてんの? 本当かどうか試しもしないでに本当に納得してるんだったら馬鹿丸出しじゃん。そりゃフツーにまとめるのが気楽だけどそれだけじゃなんにもならない――」

「あーもう、わかったわかった!」

 ファッションに対する覚悟を説く美朱を見ていると彼女への好感が高まった。自説を押し付けるまでにパワフルな信念はコーヘーと似ている。こうした情熱のタチの悪さは本人が「よかれと思って」やっていることだ。コーヘーからも同じ言葉をもう何度聞いたかわからない。

 けれどもう一歩踏み込んで考えれば、その刺激は自然にしていれば自分からはけっして生み出せないものだ。それを見過ごすのは勿体ないことじゃないだろうか。

 面倒だから。他人に言われて自分を変えることはカッコ悪いことだから。そうやって拒絶することは簡単だ。特に私たちのような思春期であれば他人に従わされるようなことには反発が起こる。

 他人の意見を否定することで相対的に確固たる自分を持っている証明にしようとする。その一方でどこかの有名な人物には喜んで影響される。世間が認める特別な人間に共感する自分もまた特別なのだと思い込む。

 そういう不健全な自己承認を繰り返しスカした態度で自ら退屈な人生に沈んでいくような選択をやめたら、何か得ることができるのか。そのひとつの事例をこれから千爽と美朱が見せてくれそうな気がする。そのきっかけになったのがコーヘーと自分だというのはふたりに話せばきっと怒られる密かな自慢だ。

「つーか、あんたスカート長いって。巻け、巻け」

「膝が出てたらなんかスースーして不安で……」

「なに女装した男子みたいなこと言って――えぇ……あー」

 美朱が何か思いついた企み顔を見せたかと思うと、急にぱっと仕切りの向こうへ顔を出した。

「男どもー、ちょっとこっち入んなよ」

 顔は見えないけれど声の調子からして意地の悪い顔をしているとわかる。

「おお、公開ファッションショーっスか?」

「そういう単純な楽しみもたまにはいいかもねえ。あ、脱ぐとこはまだ見せないでね」

 歓声にコーヘーが混じっていないってことに心が救われる。

「え、男子こっちに入れるの? なんか恥ずかしいんだけど」

「着ぐるみがそれ言う資格ないでしょ」

 女子としてごく普通な意見を述べるとばっさり切り捨てられた。言われても仕方の無い格好をしているにしても、まさか千爽に言われるとは思いもしなかった。横で頷いている美朱とさっきから気が合っていて、以前からの友人としては疎外感があって寂しい。

「待って千爽、騙されちゃ駄目。奴は自分のプロポーションを活かせる土俵で勝負するつもりで、これは罠なんだから」

「あんた、こいつの友達として部活巡りに協力するんじゃなかったの? やってることブレまくりじゃないの」

 千爽は心底呆れた、という様子で怪訝な顔をしている。親友に疑いの眼差しで見つめられて悲しい。

「だってなんか千爽が、新しい友達ばっかりで全然構ってくれないし。オレだって色々試してるのに」

 着ぐるみショーを上演した歴史があるのか、はたまた被服部に私の想像を絶する趣味の持ち主がいるのか、妙に着ぐるみが充実しているおかげで私もその中から色々と選ぶことができた。割とウキウキしてポーズを取ったりもしていたのに、華やかな衣装に目が眩んだ千爽はまるで相手にしてくれなかった。

「あーもう、まったくあんたって子は……」

 千爽は更に呆れた調子で唸り、私の着ぐるみの頭を外して髪を撫でてくれた。耳の上から頬まで輪郭をなぞる指の動きが心地良い。

「あんな奇天烈な男に惚れたりするから、そういうわけのわかんない甘え方して発散しなくちゃならなくなるんでしょうが」

 返す言葉も扱いへの不満も無いのでされるがままにしておく。

 そうしたやり取りの間に男子が衣裳部屋側に入ってきていて、豊くんに満面の笑みで見守られていた。体育座りの膝に乗せた顔を右左に揺らして笑っている様は民芸品の置物に見える。何かのフェチに触れたようだけれど追求はしたくなかった。

「ホラ男子ども、張り切って衣装を選びな」

 美朱は本当にファッションショーを開催するつもりらしい。

 それもまた不都合がある。自分自身の羞恥については着ぐるみを貫けばいいだけなので問題ないけれど、コーヘーが観客として千爽や美朱を凝視するのは気に入らない。

「衣装指定していいんスか、こらたまりませんわ。有料オプションはあるんス? 後払いOKなら年収の三割ツッコむっス!」

「なに言ってんの。あんたらが着るんだっつーの」

 押風くんは興奮の頂点から一気に真顔になり、豊くんは持っていたヒモのような布がかかったハンガーをぽいっと脇に捨てた。

 開催予定だったのは〝私たちの〟ファッション・ショーではなかったようだ。

「あんたらは女子の問題にズカズカ踏み込んでんだからサ、少しは女子の気持ちにシンクロしないと。だから女装しろ」

 その切り口はとてもマズい、と私はひとりで戦慄した。あらゆる差別を敵視するコーヘーはこれにあっさり引っかかってしまう。趣味としての女装、異性の為の物を身に付ける自由。コーヘーは絶対に否定しない。

「ああ、そういうことなら構わないぞ」

 案の定あっさり頷いた。

(勘弁してよ……)

 動揺を顔に出さないよう固めた表情で内心の絶叫を抑え、それもすぐに辛くなって着ぐるみを被り直す。

 見たくない。他人の趣味を否定しない姿勢も気後れせず何事にもチャレンジする精神も立派だとは思う。ただ見たくない。

「しかし選べと言われても……弱ったな。なあナオ、お前が見繕ってくれないか」

 この唐変木はどうしてそんな残酷を強いるのだろう。泣けてきた。

 女装が避けられないのなら、せめて露出が少なく今日まだ千爽と美朱のふたりが身に付けていない物をと思って選んだ。黄色でリボンの多い、舞台衣装と言ってもどちらかというと昔の漫才師が好んで着そうなデザインのドレスだ。

「生地がワシャワシャするっスね」

「意外に動きやすいな」

 似たようなドレスを着て顔をしかめている押風くんと違って少しはしゃいで見えるのは気のせいであってほしい。

「へえ、二人とも細いんだねえ。ピッタリだよ」

 豊くんは完全にご満悦でこの状況を楽しんでいる。もしかしてそっちの趣味もあるのだろうか。嗜好の底が見えないほど深いだけに横の範囲も相応に広いのではないかとつい疑いが芽生えてしまう。

 女装への抵抗というわけではなく、物理的に衣裳が入らないので豊くんは着替えていない。着ぐるみすら無理そうだ。元々が着ぐるみのような体型なので、首だけ被って身体に模様を塗ればなんとかなるように見える。

「よーっし、それじゃあメイクもしよっか。ホラこっちおいで。美人にしてやっから」

 美朱は更にノリノリで、化粧道具と鏡を並べた机の前に陣取って手招きしている。これには押風くんが戸惑った。

「えぇ? 気持ちを理解する目的なら、うちの学校の女子で化粧してる奴なんてほとんどいないんスからそこまでは要らなくないっスか?」

「それアンタが良く見てないだけで、ホントになんにもしてない女子なんてほとんどいないっつーの」

 観察される予感がしてサッと手で顔を隠した。そのほとんどいないほうなのだけれど、化粧しないことが手抜きのように思われそうで嫌だった。指の隙間から見ると千爽も同じようにしている。

「実はアタシ、将来メイキャップアーティストになりたいから、練習台になってほしいんだ」

「だったらコスメ部に入ればいいじゃないっスか」

「アーティストは他人に迎合したりしないのサ」

「思いついたこと言ってるだけっしょ」

「えへっ」

「何もごまかされねえっスよ」

 美朱と押風くんが問答している間、コーヘーは腰をひねったり肩を回したりしてずっと落ち着かない様子だった。ドレス姿で寛がれても困るのだけれど。

「どうかしたの? 待ち針残ってるとか?」

「いや、そうじゃない。腰回りは絞れるから布は余らないんだが――そうだ豊、何かこの隙間に詰めるものは無いか?」

 コーヘーは胸元のたわんだ布を引っ張っている。そして数秒置いて、表情を凍りつかせたかと思うと取り乱して私のほうを見た。

「ち、違う! 俺は……俺は――! そうじゃないんだ聞いてくれナオ!」

 別に聞く耳を失くしたつもりはないけれど、むしろコーヘーのほうが何を言ったところで聞こえそうにないほどうろたえている。

 傍らで美朱は勝ち誇って胸を反らし調子をよくして高笑いをした。

「ホーッホッホ! 聞いた? 詰め物をしないと――胸が膨らんでないと女装は不完全なんだってさ。化粧よりも重要な、男子がイメージする女子の姿は胸が膨らんでるものなの。ハイ、これを証拠に完全論破!」

 男子に女装を持ちかけたのは美朱だが、これが狙いだったとしたらどの時点で思いついたのだろう。

『女装には胸が足らない』

 コーヘーがそう思ったことだけは差し当たり真実なのだろう。結局差別意識を持っているのは自分じゃないかとコーヘーを責めるべきか、それともこの期に及んで攻撃をしかけたきた美朱を嘆くべきなのか、ただただため息しか出ない。

「クソぉッ、俺の中に棲む悪魔よ……出ていけぇぇ!」

 這いつくばり床を叩いて慟哭しているコーヘーがとりあえずうるさい。

 千爽は男子がこの場にいるというのに、一体いつの間に着替えたのか元の制服に戻っていた。

「どうしたの、千爽さん? 早まっちゃ駄目だからね?」

 冷めた顔で美朱に近付いていくので間に入る形でついて動くと千爽は美朱の隣、化粧台の椅子に座った。化粧品を手に取りおしろいをはたき、口紅を目尻に引いて化粧を、ただし戦化粧を整えていく。

「おー、なんか手馴れてんね。意外な女子力。ん? この場合戦闘力?」

「感心してないでいいから手伝って!」

 大急ぎでコットンにクレンジング液を染み込ませて千爽の顔をとんとん叩いて変身を妨害した。右ができあがれば右を、左ができあがれば左を崩してぐるぐると入れ替わるうちに千爽の顔面は化粧の滲みで酷いことになっていき、とうとう鏡でそれを見ている千爽本人が噴き出した。

「ヒヒっ、なにこれひっどいの! わかった、わかった。もういい。あー……私絶対人生損してるわ」

 疲れきった声を漏らし、千爽は前屈みに塞いで膝の間に顔を埋める。

 千爽のお人好しについてなら同じ感想を持っているけれど、少なくともこの問題が片付くまではお人好しでいてもらわないと困る。

「ほらあれ見てよ。ほんと、なんで私がこんな苦労してなきゃいけないんだか。馬鹿場かしいったらありゃしない」

 振り返ればコーヘーが復活して男子たちはウィッグを胸に詰め「カラフル胸毛」とはしゃいでいた。

 あんな馬鹿どもに振り回されている自分が心底悲しくなる、その点についてはまったくの同意見だった。

 ◇

 舞台用だから強力なのか執念の賜物か、千爽のメイクを完全に落とす前にクレンジング液が切れてしまった。豊くんが言うには部費は余っているので補充は問題ないそうで、今必要な分は美朱と二人でコスメ部へ分けてもらいに行くことになった。

「お――邪魔しましたァ!」

 コスメ部の部室を出るとすかさず閉めた戸を全力で押さえる。「出て来るな」と念じたのが何秒だったか、恐慌状態のさなかで正確に把握できないけれど、我に返れば中の様子は静まっていて追ってくるつもりはないらしかった。

 吐息で体の力を抜き、美朱と顔を見合わせ頷き静かに音を立てないようそっと離れる。

(コスメ部……恐るべし!)

 目的は達成できたものの、クレンジング液以外の思わぬ贈り物に苦しめられることになった。

「はー、チョービックリした。今の部長に変わってからナチュラルメイク派と分離したって聞いてはいたけど。チョー過激じゃん」

 廊下の壁に持たれて話す美朱の顔はギラギラに輝いている。グロス、マスカラそれから私にはわからない様々な手法で煌かされてしまったせいで眩しくて表情が見えない。

「過激って、そりゃあまあ過激だったけど」

 コスメ部は訪ねてみればものの見事なギャルの巣窟で、化粧落としが欲しいと話したら途端あっという間に美朱はこんなギラギラにされてしまった。運動神経の全てを注いで必死で避けに徹した私も無事では済んでいない。

「くー、屈辱ぅ……右顔面持っていかれた……」

 目の周りに厚く乗ったメイクを撫でて確かめ、前へ突き出した付け睫毛を引っ張る。がっちりと張り付いて痛むだけで取れない。

「やっぱり、コーヘーの騒動のせいで憎まれてるのかな」

「違うんじゃね? あいつらアレ多分好きでやってんだよ。楽しそうだったじゃん」

 一連の出来事に関して美朱は前向きな感想を抱いているようだった。

「っていうか、嫌ってるならこんなにたくさんくれないって。ほら、こんなだもん」

 貰った瓶は二人それぞれ両手に抱えるだけ、クレンジングだけではなく美容液やらなにやら大量に受け取っている。美朱が体を揺すって抱えた瓶を示すと、瓶は胸の上で弾んでぶつかり合いカチャカチャと音を立てた。水面を跳ねるトビウオさながらの踊りっぷりで活きの良さを見せている。思わず目を奪われた。

「凄い」

「ほんとねー。でもなんかこれ、買ってるんじゃなくて科学部の連中に作ってもらってるらしーよ」

「へえ、文化系って横の繋がりあるんだね。うちは掃除と基礎運動を合同でするくらいしかしないや」

 私が「凄い」と言ったのはもちろんコスメ部の備品の豊富さではないけれど。

「繋がりっつーか、なんか色仕掛け? 言うこと聞かせてるんだってさ。さっき見た化粧台とかは豊が作ったんだってさ。即OKだったってよ。チョーありそう。アタシもさっきその色仕掛けメンバーに勧誘されたし」

「えっ? それ聞いてない。なんで美朱だけ?」

「んじゃそろそろ戻ろー」

「ちょっと、フォローくらいしてよ」

 演劇部の部室へ戻る途中、美朱に聞いておきたいことを思い出して立ち止まった。同じ文化部棟で道のりは大してないので歩きながらだとすぐに到着してしまう。

「ねえ、さっきはなんで千爽のこと怒らせるようなこと言ったの?」

 女装を勧めた結果、コーヘーが詰め物を欲しがったことが偶然ならそのまま放置しておけばよかった。それをわざわざ助長したのだから始めから狙っていたように思えてしまう。真意は何処にあるのか。

 美朱は明後日のほうへ黒目を寄せて考えている風な姿勢を取った。

「んーとねー……アタシさ、アンタのカレシが言ってる『差別の無い世界』だとかそういうの、有り得ないと思うし全然興味ないんだけどー」

「彼氏違う違う」

「けどさー、身の回りのオトモダチ関係くらいはそうだったらいいなって思うし。アンタは〝友情〟ってどういうカタチだと思う?」

 唐突にぶつけられたメルヘンな質問。キモチのカタチ。失礼ながら不似合いに思えた。とてもそんな詩心を持ち合わせているようには見えない。

「まあカタチとかどうでもいーんだけどサ」

 答える前に自分でひっくり返されてしまった。

 メルヘン趣味を意外と感じるのは彼女が私に与える先入観が基準になっていて、見たり聞こえたりした範囲の情報の中で作り出された、骨の無い主観に過ぎない。未だに印象がそこから動かないのはその掴み所の無さのせいだ。けれどそれは当人の性質というよりも彼女との関係性のせいじゃないだろうか。友情のカタチを言うならば、まだ定まっていない。

 美朱は話を続けた。

「アタシは友達が欲しいんだけど、じゃあ『トモダチってなに?』って話。アタシいないから逆に友情って何だろってキモチワルイこと考えて過ごしてきたワケよ。喋って面白くて一緒にいて楽しいだけの相手なら友達じゃなくてもいい。傷つけない干渉しない利用しない、そんな赤の他人みたいなキレーな関係なら要らねー。これ、アンタならわかると思って話してんだかんね」

 確かに私は千爽のことを傷つけて干渉して利用している。今日の会議を見てそう思われているということだろう。不本意ではあるけれど反論できない。

「信頼とか遠慮とか勝ち負けとか、そーゆーの無視してないと〝情〟なんて呼ばねーと思うってワケ」

 言葉にして聞かされれば、彼女が求めているものは確かに〝メルヘン〟と納得できた。現実離れしている。

「それじゃあ私の使命は、そういう理想と全然違っててもあなたが『友達だ』って思えるような関係になることかな」

 当人が「カタチとかどうでもいー」と言ったからにはそういうことだ。今聞かされたことを気にする必要はまったく無い。あれこれ言ったところで彼女はただ友達が欲しいだけで、自分の考える友情こそが真実と確かめたいわけじゃあないのだから。たとえ私が当たらず触らずで優しいだけの人物として接しても、その結果美朱が「友達でいてください」と泣いて縋りつくのならそれはそれで正解と彼女は認めるしかなくなる。

 にも拘らず彼女がこれだけたくさん喋った理由は、きっと。

「美朱って、思ってたより可愛いね」

 抑え切れずに笑いがこぼれる。

 これだけヘソ曲がりを晒しても好感しか持てないのは才能と言っていいんじゃないだろうか。千爽と同じ才能だ。

「本当、友情ってなんなんだろうねー」

 顔を真っ赤にして先を歩き出した美朱の背中に呼びかける。返事はないけれど、そんなものは要らないのもまた否定できない友情なのだと思った。

 ◇

 演劇部部室のある廊下へ戻ると、部屋の前に出ている豊くんが見えた。一人あぐらをかいてニコニコ笑っている。

「なにやってんのアンタ、んなとこ座って……妖怪の役作り? できてる、ウケるー」

「妖怪って、心外だなあ。このありがたいルックスが目に入らないの? どう見ても七福神でしょ」

 自分でもそう思っていたのか。

「ほら見てよ、通りがかりの生徒にお賽銭いっぱい貰ったんだよ」

 そう言ってクッキーの缶を振るとジャラジャラと音が鳴った。

「うわ、ぼろ儲けじゃん。生活できそう。たくさん食べるからムリだろうけど」

 美朱と豊くんのやりとりを横にすり抜けて入口の前に立つと、戸が薄く開いていることに気がついた。触れかけた手を動かさずそのまま後ずさって離れた。

 振り返って豊くんを見ると、意味ありげに笑みを強める。

 言っちゃあ悪いけれど豊くんは下衆だ。その視線の先にこの隙間があるということは、必ずろくでもないエンターテイメントがある。覗き趣味だ。

「見てたら息が荒くなっちゃってバレそうだから離れてはいるけど、僕ちょっと眼はいいんだ。糖尿にも注意してるし」

 シュガーまみれで目の当たりにした食癖のどのあたりに注意があったのか、疑問ではあるけれど今はそれはいい。それよりも室内の確認だ。

 多少良心がチクチクと痛むのを気にしながらもう一度戸に近付いて中を覗くと、そこには千爽と押風くんがいた。二人並んで椅子に座り都合の良いことに横を向いている。

(これだ!)

 私はぐっと拳を握り、首だけ振り返って肩越しに豊くんを見た。

「七福神って言うんなら恋愛は弁天様だから対象外なんじゃない?」

「現代はなんでも願をかけちゃうからねえ。恋愛成就なんて昔はなかったんだし、縁結びだけを考えたら――って、今は別にそんなことはどうでもいいよねえ」

「そうだね。どうでもいい」

 今回散々苦しめている千爽に何をすれば埋め合わせになるか、それをずっと考えていた。その解決は押風くんに委ねてもいいのじゃないか、そういう期待が湧いてきている。

 彼のことはよくは知らない。貧乳側に付いたのも「そっちが不利になるから」と話していた。けれど、結局のところ千爽に好意を持っていないならその席にはけっして座らなかったんじゃないだろうか。会議の開会時点から、彼にはコーヘーの志を支援する以外の下心があったんじゃないか。そうであってほしい。

 ここでの私の願いとはつまり、千爽に恋人を用意することだ。どれだけ根深いコンプレックスを抱えていようと、それを包み込み肯定してくれる存在に、これから押風くんがなってくれたらいい。その為には本人にその気がなくては困る。

 祈る気持ちで様子を観察して見ると押風くんはソワソワしていた。椅子の上でモジモジと重心を動かし、視線はあちこちをさまよう中チラチラと千爽を見る。

 乙女視点で語れば芽がありそうに思えるけれど、期待が強いばかりに進んで錯覚しようと積極性が働いているかもしれない。

 今ここで室内に踏み込んで介入するよりも、押風くんの自発的な行動が出てほしいところだ。

「いや、えーと、あのさ、みんな、遅いね」

 押風くんの挙動が怪しい。斜めに唇を傾けた顔面硬直は察するに作り笑いで、流暢に語って美朱と競った弁舌はどこへ行ってしまったのかといった別人ぶりだ。

 これはもう確定と見ていいんじゃないだろうか。気になる異性と一緒にいるせいでの緊張、そうとしか思えない。

 一方千爽のほうは目を閉じて腕を組み、まるで要塞のように堅固な佇まいをしている。「……あのね、よその部の備品を分けてもらおうってんだからそうそう簡単にはいかないのはわかりきってるでしょ。元になる部費の割り振りは決まってるわけだし、それをあとから行き来させようなんて、生徒会に知れたら問題になるルール違反なんだから」

 まるで響かないその態度は座っているのに仁王立ちに見えた。わかってはいたけれど、手強い。

「あ、万畳さんって剣道部だったよね」

(よし! そう、声出していこう! 体ほぐれるよ!)

 心の中で押風くんへ声援を送る。

「竹刀見たでしょ。だから何よ」

 取り付く島も無い。

「えーあー……ゴメンナサイ」

(あー、謝っちゃった)

 それにしても押風くんはいくらなんでも動揺し過ぎな気がする。

 もしかするとここで仲を進展させるつもりでいるから? 仕掛けるつもりでタイミングを計っているなら精神の負担が増すのはよくわかる。

 けれど今打ち込んで突き崩せる状態だろうか。千爽の堅牢ぶりは狙い澄まして付け入る隙があるとは思えず、ただ待ったところで好機が巡ってくるわけもない。かと言って少なくとも今の状態の押風くんにチャンスを自ら作り出す技があるとは思えなかった。早速敗色濃厚だ。

 いや、私は押風くんを応援すると決めたのだから、彼が何かするつもりでいるのならその成功を信じなければならない。

(がんばれ、ダメでも次があるよ!)

 完全に信じるというのは難しい。

「万畳さんってどういう男子がタイプなの?」

 唐突な質問に息を呑む。勝機を伺うだけの平静さは押風くんに残されていなかったようだ。だったらもうその空気を読まない攻めに賭けるしかない。

(いっけええええぇぇ!)

 心の中で吠え、千爽を睨み付ける。通じろ、届け。

 千爽が押風くんのほうを向いたので顔が見えなくなった。他の姿勢は不動で感情は読めない。

 かと思ったらすぐに首は元の向きに戻った。ただ前を見る眼差しは冷ややかで、押風くんとの温度差でふたりの間に気象前線が出来かねない勢いだ。

「胸の大きさがどうとかこだわらない人かな」

 思わずうな垂れる。完全な拒絶だ。今日の押風くんを知る限りこれで立候補はできなくなった。かといって否定すれば今後会議に参加できなくなる。ここで彼に離脱されてしまうのは痛い。

「大丈夫! 俺そんなの気にしないから!」

 元気よく答えた押風くんの声を聞いて前屈の深度が上がった。何を考えてそんなことを言い出したのかわからない。

(ああでも、男子で何を考えているかわかる人なんて、いるっけ?)

 と、横道へ逸れそうになった思考を持ち直す。

 ここで私があれこれ心配すること自体は無意味だ。意味があるのは千爽の反応で、私がすべきことはそこから今後必要な助言を見つけ出すこと。

 自分の役割を再認識し、上半身を持ち上げてまた戸の隙間へ顔を近づける。と、視界にさっきはなかった障害、木刀の切っ先が見えた。

「ちょ――うわっトォ!」

 体を持ち上げていた勢いでそのままブリッジして回避し、鼻先を擦過する飛来物に付いていく形で床を蹴り腕で跳ねて後ろへ飛ぶ。

 すかさず身構えたものの、追撃は無かった。ほっと安心すると同時に自分が着地したのが豊くんの肩だということに気が付く。

「わっ、ゴメン!」

「全然大丈夫。大歓迎」

 返事はスカートの中から聞こえた。慌てて飛び降り、動悸を抑える。ひたすら恥ずかしい。怒りに任せてひっぱたいてやりたくもなるけれど自分で招いたことなのでそうもいかない。

 第一それどころではなかった。目の前には千爽が立っている。部室を出た廊下で、手には木刀。もうここは彼女の間合いだ。

「変だと思ったら……まったくあの手この手で……あんたは私のこと馬鹿にする為に頑張り過ぎじゃ――ぶふっ」

 無表情から迸る殺気が突然途切れ、いきなり噴いて笑いだす。

「ウヒっ――それあんた、なにその顔」

 そう言えばコスメ部で半面だけメイクをされたままだった。豊くんのリアクションがなかったせいで忘れていた。

「コスメ部に行ってスッピンで帰ってこれるわけないからねえ」

 彼はこういう事態に慣れているらしい。

「そうだ、メイクっていえばそっちこそどうしたの?」

 そもそもコスメ部にクレンジング液を貰いに行ったのは千爽のメイクを落とすためだった。そう言えば千爽はさっぱり綺麗な顔をしている。

「あんただって体育会系女子の嗜みとして洗顔フォームくらい持ってきてあるでしょ。ガシガシ洗ったら落ちたわよ」

 その手があったかと納得する。

「いいじゃない。ここの備品は減らしちゃってたんだから、貰ってきた分が無駄になるわけじゃないんだし」

「じゃあ私も顔洗ってくるから、千爽はさっきの続きやっててね」

 千爽の肩を掴んでくるんと方向転換させて演劇部へ押し戻した。中では押風くんが良い姿勢で待っている。

「それからさっきの押風くんは、私は関わってない混じりっけなしのノンフィクションだから」

「はぁ? だったらなんだっての。あんな変態に好かれたって嬉しくないわよ」

「胸の好みのこと言ってるの? さっき本人が『気にしてない』って言ってたじゃない」

「気にしてない奴があんな会議に参加するわけが――」

「あるでしょ。たった一つの例外が。別に貧乳に固執してるわけじゃなくっても会議に参加して貧乳を支持する理由があるでしょ」

 好きになった人が、そうだった場合。

「周りからどういう風に見られてたってさ、それだって一部なんだからいいんじゃない。好きになっちゃったら関係ないよ」

 貧乳が悪いもののような言い方になってしまったけれど、私が考えているのは別のことだった。惚れた弱みの致命傷。私はコーヘーがどれほど迷惑を振りまこうと見捨てることができない。

「要するに押風くんはあんたの近くにいる為に会議に参加して、あんたを守る為にあんたのことが好きだって主張し続けてきたわけよ。同じだけ愛情を返せなんて言うつもりはないけど、彼がどういう人物かわかる、そのチャンスくらい与えてあげてもいいんじゃない?」

 耳に口を近づけて小声で話すと、千爽はみるみる赤面して抵抗する力を弱めていった。あとは私にされるがまま足を進めて椅子に座る。

 自分を助けてくれる王子様を女が嫌いになるはずがない。

「それじゃあ押風くん、あとはよろしく。言っとくけど私の親友を辛い目に遭わせたら空手部の備品にするからね」

「ハイ! 頑張ります!」

 押風くんは脅しも気にしないくらい無駄に意気込んでいる。明らかに力が入り過ぎだけれど、「が……! ど……!」と謎の稼動音を鳴らしたきり黙る千爽もまたどっこいどっこいの状態なので良いバランスと言える。お似合いだ。

「じゃあ美朱の部活見学は私に任せて、ごゆっくりー」

 私だって誰でもいいから千爽を押し付けようとしているわけじゃあない。押風くんを信じて期待しているからだ。コーヘーの友達というだけでそう思うに足りる人物と見なしてしまうのは明らかに欲目だけれど、私はそれ以外のものさしを持たないから仕方がない。

「ナオ待って!」

 部室を出て行こうとしたところで後ろから声をかけられた。まだ逃げようというのならなんと頑固なのだろう。これは空手チョップの出番かもしれない。

 少し鬱陶しく思いながら振り返ると、椅子から立った千爽は脂汗を浮かべた余裕の無い顔で意地悪く笑っていた。

「ここまでのことを私にさせてるってことを理解して、あんたも腹くくんなさいよ。でないと許さないんだからね」

 私も、ピンクフリルを着る時が近づいている。

「そうね。お互いうまくいったら、こっぱずかしいガールズトークでもしましょうか」

「私のほうはうまくいかなくていいから」

「だったらその時は慰めてあげる」

「いやそうじゃなくて」

 千爽の焦り顔と押風くんの固まった笑いを確認してから演劇部の部室を閉じた。

 自分で塗った千爽とは違ってコスメ部の本格的な化粧だからか持参の洗顔フォームでは歯が立たず、結局貰ってきたクレンジング液を使うことになった。

 さっぱりした気持ちで演劇部の部室前に戻ると、戸は締め切られているというのに豊くんはまだ廊下で粘っていた。彼のことだから空想でも楽しめるのだろう。

「あれ、コーヘーどこ行ったの? もしかして奥にいたとか」

 衣装スペース側に気付けなかったとしたら、今になってまた中にお邪魔してコソコソ連れ出さなければならないとしたらいただけない。

「へ、山切さんが呼んだんじゃないの? メールで呼ばれたからって、急いで行っちゃったよ」

 携帯電話の定位置、スカートのポケットに触れると感触がなかった。持ち歩くようにしてはいるけれど学校ではほとんど使わないのでどこかで取り出した記憶も無い。一体どこへいったのか。

 落とし物をした。単にそれだけで済むことではないような勘が働いて急に冷えざわざわと悪寒に包まれる。

 廊下に校内放送のチャイムが鳴り響いた。

《マイゴノオシラセヲイタシマス》

 聞こえたのは人の声を繋ぎ合わせた合成音声だった。内容も知った人間しかいない学校内ではあり得ないアナウンスだ。

(敵だ――)

 直感する。

《校内にて、血迷った男子生徒を一人、体育館にて保護しております。お心当たりの方は急いでお越しください》

 美朱が横で何か言ったような気がするけれど、私にはもう聞こえなかった。

 靴は履き替えず体育館へ飛び込んで板張りを踏む。通常この時間であればここ大体育館では男子女子を含めてバスケット部やバレー部が活動しているはずだけれど、今日はそうした活気は無くしんと静まり返っていた。

 かと言えば誰もいないわけではなく、全方位に黒装束姿が丸く立ち並んでいて人数だけならかえって普段よりも多い。

 三角にとがった頭巾、足元までつながった黒いワンピース。肩の位置がわかり辛いので体格を判別することさえ難しい。完璧に匿名の集団だ。

(こういうの、今日は二度目ね)

 止まらずに足を進めて中心を目指す。罠だというのはわかっているけれど、これは乗らなければ始まらない罠だ。

《急いでもらって嬉しいのですが、怪我はしませんでしたか?》

 放送は館内スピーカーから続いた。

 体育館には壇上の舞台袖から降りる小部屋に放送設備があることは知っている。けれどその操作の方法までは知らない。ほとんどの生徒が同じことだろう。そんなことに詳しいのは放送部だけだ。

 携帯電話を奪われたのも今思うとコスメ部かもしれない。貰ったクレンジング液は科学部に作ってもらっていると聞いて文化部の見事な連携に驚いたばかりだった。

(さすが、メイクの下はなに考えてるかわかんないなあ)

 放送を聴いてコーヘーを人質に取られていると知って、一度完全に我を失った。演劇部部室のある三階の窓から飛び出したあと雨どいのパイプを伝って地上へ降り、まっしぐらにここへ駆けつける間でどうにかいくらか平常心を取り戻せてはいる。

 人質を渡して解散しなさい。そう言いたい気持ちを堪え深く息を吐く。そのくらいで乱れた呼吸は戻らないけれど、精神の昂ぶりを下げる効果はいくらかあった。

「心配してくれてありがとう。でも大丈夫だから、コー――洞貫くんに会わせてもらえる?」

 この件で誰が悪かを追及する気がなかった。ここに集まっている覆面たちが敵として立ちはだかろうとしても、彼らの思惑に嵌ってはいけない。

《それはあなたの態度次第です。こちらの要求は一つ、洞貫くんを中心としているあなた方の活動を中止してください》

 やはり、ここにいるのは貧乳側だ。千爽が会議で「200人は集められる」と言っていたけれど、その半分ほどが集まっているんじゃないだろうか。それも今は千爽の手を離れている。

「あなたたちが迷惑してるのはわかってる。だけど少しの間辛抱して。できるだけ早く静まるように努力してるから。会議はその為に開いてて、そこ以外では騒がないように言ってあるから――」

 話しながら円の中心に近づくと、床に水たまりができていることに気が付いて視線が下がった。色は赤く、表面は固まって黒ずんでいる。血だ。

 水滴で波紋が起きるのを見て首を天井へ向ける。理性はここでまた途切れた。

 コーヘーが宙吊りになっている。かなり高く、顔色までは見えないけれどそれでも意識が無いことはわかる。コーヘーがこの状況に怯えて黙るはずはない。助けを求めないはずがない。

「すぐに下ろせ!」

 そう言って彼女たちが従うはずはない。返事は待たずに壁へ向かって走り出した。近づいた黒ずくめたちが動揺して円が途切れたが、それは無視して手前で跳び上がり、バスケットゴールのネットを掴んで自分を引き上げて身を捻り、リングに着地するともう一度飛んでバルコニーへ飛び移った。そこから更にカーテンを掴んで天井まで上り、あとは鉄骨の梁を伝ってコーヘーのところまでたどり着いた。

 コーヘーは黄色と黒のロープで巻かれて吊るしてあった。触れればささくれが指を刺すようなもので縛られれば自重で食い込んで相当痛むだろう。

「ちょっと、起きてる?」

 呼びかけながら梁に足を絡めて姿勢を安定させ、空いた手に部活用の拳サポーターを通す。

「ん……ああすまん。ちょっと、考え事をしていたんだ」

 コーヘーが顔をあげると怪我の状態が明らかになった。片目が塞がるほど腫れ、口から出血が顎から滴っている。鼻のほうは既に止まっているようだ。

「頭に余計な血回してないで、ちょっとは自分のこと心配しなさい。馬鹿」

 念の為髪も束ねてからロープへ手をかける。ロープは三つ編みの要領で頑丈に束ねてあって、これならもう一人ぶら下がっても大丈夫そうだ。救出のシチュエーションとしては男女が逆だとも思うけれども、コーヘーは当然そんな性差を気にしない。

「いや、考えずにはいられない。乳の大きさ差別から手を引けと脅されたんだが、この連中をこんな凶行に走らせるまで追い詰めている正体はなんだ? 一体どうやったら救ってやれる? 俺にはわからない。なあナオ、助けてくれ」

 案の定な要求に呆れた。袋叩きも拘束も今日はこれで二度目ながら、まだこんなことを言っている。

「あんたねえ……こんな目に遭わされたくせに、誰を救いたいって?」

 聞いてはみるもののコーヘーはわかったうえでそう言っている、ということをもうわかっている。

 コーヘーの眼には彼女たちが〝加害者〟として映っていない。あくまで〝偏見の被害者〟でしかない。なので今直面している問題は〝囚われた自分〟ではなく、〝そこまでするほど追い詰められた偏見の被害者たち〟ということになる。

 行き過ぎた思い込みは独善と等しく、正しいとはまったく思わない。だけど、衝突は全て行き違いで差別意識もコンプレックスも話し合いで解消できるという考えまでを否定したくはない。童話のようなハッピーエンドが来ると信じる純心さを守りたいとさえ思う。自分が信じられないことを、コーヘーにも同じ風に疑ってほしいとは思わない。

「なあナオ、こいつらを救いたい。なぜこんなことをするか理由を聞かなきゃならない。ここから降ろしてくれ」

 ため息で返事をする。ここで「逃げよう」と提案しても従うわけがないと知ってはいた。この場を逃げ切っても鎮圧したとしても、その原因を解決しないことにはコーヘーにとってなにも進展したことにはならない。本当に厄介な善人だ。

「わかった。手伝う。でもまずはオレに話をさせるって約束して」

「いいだろう。もしこの連中がお前と同じ悩みを持っているのなら、そのほうが心を開きやすい。同じ立場の者同士、親身に話を聞いてやってくれ」

 訂正するのも億劫で、返事はせずにコーヘーを縛るロープへ乗り移った。弾みで少し揺れたけれど、強度には問題ないようだ。結び目はかなりきつく、コーヘーの重みで締まっているので解くのは難しい。

「じゃあ落とすから、着地してね」

「わかった」

 結び目に指をかけ、力を込めてロープを引きちぎる。支えを失ったコーヘーの身体はぐるぐると独楽のように回転し、ひと巻きひと巻きロープが解けながら落ちていった。

 私はすぐにロープを登って鉄骨へ戻り、骨組みに挟まっていたバレーボールを抜き取った。古くはないようで布の劣化もほとんどなく空気は充分残っている。弾力を確かめるとすぐに真下、どんどん小さくなるコーヘー目掛けて投げつけた。

 命中は墜落とほぼ同時だった。私はなんの心配もしていない。落下の音は肉の鈍い音ではなく、ボールが弾ける音だったから。

 ここからはコーヘーの頭しか見えない。つまりは直立で器用にボールを踏みつけて着地できたということだ。緩衝材のつもりでボールを投げ渡したのだけれど、使われ方は想像していたものとはちょっと違った。

 コーヘーは上を――私のほうを見上げて両手を広げた。受け止めるから落ちて来いということらしい。高過ぎることは忘れるとしていかにも紳士的な振る舞いだけれど、性差を気にしないコーヘーなのでこれが逆の立場だったら私に同じことを要求しただろう。どちらにしろこれだけの衆人環視の中では恥ずかし過ぎて冗談じゃない。

 コーヘーは無視し、ロープを揺すって加速をつけバルコニーの柵へ飛びついた。そこから更に跳んで宙返りをして一階へ降りる。

《すごい運動神経ですね》

 褒めているように聞こえても、本心は機械音声からは推し量れない。

「あんたたちの気持ちはわかってる。こっちから言いたいことはさっき言ったから、その返事を聞かせて」

《なにをわかっていると? 相手を思いやる心があるのなら、なぜあなたはその男に協力するんです》

 千爽にも同じことを聞かれたことを思い出した。この匿名の中に彼女がいなくてよかったと思う。揃いの衣装を用意したりと段取りを踏むほど気長ではないところには困ることもあるけれど。

(衣装……ああこれ、被服部もきっと混じってるよね)

 体力づくりで不在だった演劇部も怪しい。これだけの人数が揃っているのだから誰がどこから来ていても不思議には思わないけれど。

 正体が誰であれ疑問に答える。ここでしなければならないのは、結局のところ会議と同じことだ。

「オレがこいつを手伝うのはそうしたほうが早いからだけど、それで納得できないって言うならあなたたちが想像してる一番下世話な理由でいいわ。それで合ってるから」

 こんな話をしてもどうせ隣の朴念仁には伝わらない。見れば腕組みで眉間に皺を寄せて考え込んでいるようだ。先に話をさせると約束したのでそれが終わるのを待っているのだろう。コーヘーのこういうところは、律儀ではあるけれど不誠実でもあった。自分が関心を寄せている事柄でなければ見向きもせず、自分が納得しやすい形式で証拠を突きつけなければそもそも話を聞かないような節がある。

「誘拐と一方的な暴力についてあなたたちを責めることはしないわ。あなたたちは『自分たちこそ精神的に傷つけられた』ってことで自分を正当化しているんだろうけど、暴力じゃなにも変わらないってことだけはわかって。オレはここにこいつを救出に来たんじゃない。あなたたちと話し合いに来たの。暴力では飛び越えることはできても、間にある溝を埋めることは永遠にできない。何度も繰り返せばいつか届かずに落ちる。それじゃ意味がないと思わない?」

 誘拐と衣装とこの人数。彼女たちがここに整えたのは脅迫の舞台だ。そんなものはコーヘーには通用しない。私が求めているものとも違う。

「あなたたちはこいつのことを縛ってから暴行したんだろうけど、別にそんなことしなくてもこいつは反撃なんてしないから。こいつはあなたたちを『可哀想』と誤解して助ける為に動いてるの。それを正すには暴力じゃダメなの」

《つまりあなたはその彼を信頼している、ということでいいですか。彼なりの道理を守る話してわかる人格者だと》

 あまり答えたくない質問だ。独善的に騒動を起こし、被害が拡大するような手段を直情的に選ぶ。そんな人物に賛同すれば人格を疑われる。けれど、今はそう表明する他しようがなかった。

「はい。ワタクシ、山切奈緒は彼、洞貫幸平を信頼しています」

 右手を挙げて宣誓して見せた。

 嘘とは違う。「やめたほうがいいのに」とは思うけれどそれは面倒を避けたいからで、まして「やっても意味がない」とは思わない。前例のように少しだけ暮らしやすい日々に変わると期待しているのも本当だ。

《あなたが率先して開いたという、嫌がらせにしか思えない会議についても同じですか。何か成果が出ることだと?》

「成果を……出すのは困難かもしれないけど、これが一番平和的に解決できる手段なの」

 会議については軽率だったと自分でも思う。現に参加者に対しても騙まし討ちのようになってしまっている。けれど周囲の意見を確かめる時間もなければ、それ以外で説得できるとも思えなかった。会議を開かなかったとしたらもっと早くに今と同じ状況になっていただけだ。

「なあ、もういいか?」

 コーヘーは自分の出番をまだかまだかと待ち構え爛々と瞳を輝かせている。けがのことなどまるで気にも留めないやる気満々だ。

 強行手段に打って出た彼女たちがコーヘーを納得させる話をするとは思えない。コーヘーはコーヘーで、また言葉を選ばない弁で無闇に彼女たちを刺激して再び暴力に晒されることになる。それで屈するはずもないから、あとはもうエスカレートする以外に変化は起きない。

「ダメ、ずっとダメ。会議の場以外では話さないって決めたでしょ」

「場と機会を選んでいる余裕のある、優位な状況には見えないが?」

「そうだけど、だけどここじゃ手段だって選ばせてもらえないの。今ここで何を話したってこっちの意見なんて聞いてもらえないし、一方的にいぢめられるだけよ」

「俺はそれでも構わない。息の根が止まるまでは問いかけをやめない」

 予想していた通りここでも曲がらない。

「あのね、『どれだけ徒労と傷を抱え込もうと自分の勝手だ』、なんて考えてるんだったら勘違いはやめなさいよ。あんたがケガして帰ったら、オレがおばさんに聞かれるんだからね」

 コーヘーのことで何かあるとなぜかコーヘー母が相談に来る。「婿に出すんでもいいから」と時々言われるように嫁としての将来を嘱望されていて、ムズ痒くて仕方がない。

 気持ちを言動として示した記憶はないのだけれど、それを言うなら千爽の前でも同じことだったなので、それこそ生まれた時からを把握されているコーヘー母に見抜かれているとしてもまったく不思議はなかった。

「この件を一から報告しろっての? オレ嫌だよ。『息子さんは学校でおっぱいおっぱい騒いでます』なんておばさんに言うの」

「それは確かに。家庭に持ち込むことは好ましくないな。端的に状況を聞かれると問題行動と誤解されてしまう恐れがある」

「芯から問題行動だから。おーい、いい加減自覚しろー」

 二人で話している間、覆面たちは大人しくして待っていた。私にはそれが逆に恐ろしい。彼女たちが怒りに我を忘れた暴徒ではないということだ。冷静に自分たちの行いを正義と信じ、私たちを断罪するつもりでいる。コーヘーに近しいものとして、その危うさはよく知っている。

《あくまでも話し合いによって結論を得るべきだということですか》

「ええ。時間はかかるだろうけど、急ぐべきものじゃないとも思ってる」

《会議はあなたが開催したものと聞いています。あなたのその意見が参加者の総意と受け取っていいですか?》

「それはちょっと乱暴だけど、少なくともあなたたちの側でないことは確かね」

 当初千爽に関してはかなり怪しい立ち位置だったけれど、今なら押風くんが支えになると期待していいはずだ。

《なるほど。完全に決裂していると理解できました》

 抑揚の無い機械音声でそんなはずもないけれど、突然その響きが憎悪を伴って凄みを発したように思えた。

《あなた方はその会議によって事態がきっと進展すると信じていて、我々はそうは思わない》

「極力平和的な手段を選びたいと考えるのは文化的な現代人として当然のことよ」

《我々は傷ついているのに何が平和か。あなたは所詮〝自分が守りたいもの〟を中心に考えて築いた理念と正義を信じているに過ぎない偽善者だ》

 それは私の弱味だ。突かれると反論ができない。

《暴力によって解決することはできないとあなたは言う。だが我々はそれを信じていない。なのでそれが真実かどうか、実践によって追究させてもらいます。その為に呼びしました》

 覆面たちが一歩前へ出て円が縮まった。ここからは彼女たちのやり方に付き合わせようというつもりらしい。

「どうする。お前は一旦逃げるか?」

 コーヘーは平然としている。自分だけは何があっても残るつもりのようだ。

「ダメ。こいつらを外に出したら私たち以外が襲われるかもしれない」

 近づいてくる歩みは足音もバラバラでもう統率は感じられない。同じ目的で集まっているだけなのだから無理もないことだ。それなら、こことは違う場所で別働隊が動いているとは考えにくい。千爽たちは無事だ。

「なにも案はないけど、とにかくここで時間を稼ぐの。ヘトヘトになってお腹が空くまで持ちこたえて」

「電話で先生や警察を呼ぶのは?」

「オオゴトにはしたくないから却下。こいつらは正体がわからないように覆面でいるのよ。解決したら元の日常に戻りたいの。大人を呼んだら事情を調べられてそれができなくなる。旗先生ならその辺は大丈夫そうだけど、こんな揉め事に関わるわけない。じゃああとは校長だけど、この状況で他の大人に悟られずに直接校長を呼ぶ方法あんた持ってる?」

「無いな。それに無駄は騒動は好きじゃあないから賛成だ。では逃げ回るとしようか」

 円はもうかなり縮まっている。覆面が手に持つ鉄パイプやら物騒な持ち物の中に槍のような長いものがあればもう届いている距離だ。

 タイミングを計っているうちにコーヘーに横から抱えられ、驚いている間に宙を飛んで覆面の列を飛び越えていた。お姫様だっこではなく肩に担がれているとはいえ、それなりに恥ずかしい。頭に血が上ってつい助けてしまったけれど、これならコーヘーはいっそ宙吊りのままにしておいたほうが良かったかもしれない。

「逃げ続けるのはいいが、展望がないのは窮屈だな」

 壇上へ上ったところで床に下ろされた。覆面の集団は円を崩し我先にと両脇の階段へと集まっている。

「正直万策尽きてるんだから、しょうがないの。あ、今ならもう好きに話しかけていいよ。気を引いておきたいし、あんたが感動的な演説でこの状況を打開する奇跡に期待するのもいいかもね」

「それができるといいんだが……。俺にできるのは基本的に質問だけだからな。何より今はお前を守らなくちゃいかん」

 コーヘーにとって〝守らなきゃいけない対象〟として認識されているらしい。こんな時でも赤面してしまうのは、その余裕があるからというよりそのことが私にとって最優先事項だからという自覚がある。目の前にどんな危険が迫っていても私はコーヘーにどう思われているかのほうが気になる。こんなだから、いっそコーヘーと一緒に突撃していって何度か殴られたほうがいいかもしれない。

 轟音――金属を叩く派手な音が体育館内に響いた。私が通り既に塞がれている正面入り口の扉とは別の、横の壁に面した出入り口の戸の一つが軋みを余韻に浮き上がっている。

 戸は薄いブリキを貼り付けてある一見粗末な物ではあるけれど、内部には頑丈な骨組みが入っているようでそれなりに重い。上から吊り下がる構造で滑車によって横へスライドするようにはなっているから、扉のように開いたりすることはない。それが今無理矢理めくり上がっている。

 壁へ戻ってきて衝突する前にもう一撃加わり、戸は枠を外れ放物線を描き向かいの壁まで弾け飛んだ。

 何が起きているのか。私なりの推測は、振り返って事態を凝視している覆面の前に竹刀が浮かんだことで確信に変わった。

 いつも武道場で聞いているものとは違って鈍く生々しい音が響く。かなりの数が重なった和音は滝にも似て広い館内に残響し、それから覆面を叩いた全員分の(・・・・)竹刀がバラバラと床に落ちた。

「お見事、これ何本分?」

 音と同時に壇上に現われた前屈みに声をかけると、律儀に体育館履きに履き替えている最中の千爽は背筋を伸ばしてふんと息を吐いた。

「誘拐なんて性根の腐った連中、何遍叩いても一本にすらなりゃしないわ。乱戦なら姿勢を崩さない剣道がの独壇場だってことをわからせてやる」

「姿勢を崩さないでいられるのは一対一だからでしょ」

 竹刀を何本持ち込んだのかも不思議だけれど、全員同時に打ち込むとなると完全に人間離れしている。威力が犠牲になっているとかいうわけでもないようで、覆面連中にまともに立っている奴はいない。

 援軍としてはこれ以上ないほど頼もしい。けれど、千爽がここには来たのは間違いだ。

「来てくれて嬉しかった。でも早く逃げて。ピンチの時には現われる男前だってことと、千爽との友情も再確認できたからもう満足」

「はぁ? あんた、自分一人でこの人数に勝つつもり? いくらこいつら文化部どもがヘナチョコって言ったって無茶に決まってんでしょ。あんた持久力は並以下で、連戦なんかできっこないんだから」

 指摘された通り、ここへ来た時から息が上がったままで戻っていない。

「これは勝っても困る戦いなの。だから逃げて」

「なにボケたこと言ってんの。戦いがもう始まっているからには二択でしょうが。勝つより他に良い結果なんてあるわけない」

 話している間に覆面たちは五人が復活して足取り軽く壇上へ上がってきた。

「首謀者は俺だ! 誰の協力が得られ無くとも俺は一人で活動を続けるぞ。この二人に手を出しても意味は無い!」

 コーヘーが前へ出て叫んだ。

「むしろ苦しんでいるお前たちこそ協力しろ。苦痛を訴えることを恥じるな! 存在を誇示することに怯えるな! 誰かがその一人目にならなければ永遠に今の境遇のままだ。この先に平等があることを信じろ!」

 それは彼女たちにしてみれば敵の弁でしかない。どんな言葉を選んでも届くはずはなかった。

《あなたがたはそれを信じればいい。だが手段を追求する権利は我々にもある。今は我々の時間だ》

 五人の覆面は散開し半円を描いてこちらを取り囲む。

「だからって暴力を振るっていいってことにはならないよ」

 彼女らの意思が揺るがないとわかっていても私は食い下がった。どうしても戦いたくない。絶対に嫌だ。

《同じ問答が必要なら何度でも応じる。あなたがたが〝自分たちは何も傷つけていない〟と本心から主張するのなら、自己欺瞞に満ちていると言わざるを得ない》

「いいじゃない。好きにさせたら」

 千爽は竹刀を五つ、人数分拾い集めている。覆面の攻撃姿勢に対し乗り気だ。相手と違いこちらの意思はまるで統一できていない。

「こっちも何度だって付き合ったげるわよ。本来私はあんたらと同じ側の立場だってのに、まったく嫌になるわ……。攫って囲んで襲ってってだけで気分悪いのに、何その被り物。文句があるなら直接言えばいいでしょうが。陰気で陰気で気分悪いっつーの。まったく、これだから文化部は。昼休みに私のとこ集まった奴もいるんじゃないでしょうね? っていうか絶対混じってるわよね、こんだけいれば」

 竹刀を抱えたまま、千爽は躊躇い無くスタスタと前へ出る。

「ダメ、手を出さないで!」

 千爽の腕に束ねられた竹刀が消え、一つ一つがバラバラに覆面の前へ飛ぶ。千爽がまるで悪役のようにほくそ笑むのが見えた。まさか負けるとは露ほどにも考えていないのだろう。文化部のヘナチョコたちには。

 それぞれの眼前に放たれた竹刀、彼女らはそれを払って落とし――脇へ跳んで――事も無げにかわして見せた。竹刀は虚しく空を切って床へ落ちる。

「は?」

 ぎょっとして硬直する千爽の周囲、一歩二歩のところに滑らかな足裁きで五人の覆面が集まり、私は固く瞼を閉じた。

 見たくなかった。傷つく親友も、彼女たちが何者かが語られるその一挙手一投足も。

 放送がきっかけで、ここでも機械音声が代表して話していたから勘違いしてしまいそうになるけれど、別に放送部の誰かがこの件の首謀者というわけじゃあない。匿名性を守る為に分担してできることをやっているだけのことだ。

 そしてその結束が文化部・運動部の枠を超えて繋がっているのはあの宙吊りをセッティングした人間がこの覆面の中にいるということからもわかる。機械音声は私がコーヘーを救出した手際を褒めたけれど、同程度のものを既に見ていたはずだ。

 この匿名の海の中には私たちを実力行使で制圧できる人材がいる。そうでなければこの場は罠として成立しない。私も千爽も校内で誰が束になろうと負けないレベルの無敵を誇っているわけではないのだから、激突すればこうなることはわかっていた。勝てない。戦いたくない一番大きな理由はシンプルなそれだ。

「キャ――いやっ……そんな!」

 打撃音に続き、千爽の動転した声を聞き異変と知って目を開ける。そこには押風くんがいた。千爽に覆い被さる形で千爽を守っている。

 押風くんは千爽に笑いかけようとしたようだったけれど、それは叶わなかった。私にとって今ここで最も見たくなかった、しっかりと型の取れた正拳突きが脇腹に深く突き刺さったからだ。苦悶に歪む。

 その場に崩れ落ちようとする押風くんと、それを抱いて支える千爽。始まったいくつもの追撃。私もコーヘーも駆け出してはいたけれど、とても間に合わない。

 一番大事なものはコーヘーで、その為に色々なことが犠牲になることは予想していた。覚悟していたつもりだった。なのに今は後悔している。私は信念なんて持てない。

 途中拾った竹刀を投げつけても出鱈目に飛んでいくだけで当たりはしなかったけれど、一つが千爽に届いたおかげで追撃だけは防ぐことができた。

「コーヘー!」

 顔を見合わせ、視線と指を振るブロックサインで行動を打ち合わせる。

 周囲からの攻撃を千爽が竹刀でいなしているところへ滑り込み、私は千爽、コーヘーが押風くんを抱き留める。

「どけえぇっ!」

 人垣の一端、さっき正拳突きを見せた覆面を睨んで吠えると、ぎこちなく動きが強張るのを私は見逃さなかった。運動部で最低の持久力しかない私でも一応は空手部である程度のイニシアチブを握っているつもりではいる。

 でもここではそれが影響したわけじゃあない。彼女を引かせたのは当人の罪悪感だ。どんな事情があろうと大勢で袋叩きにすることを前面肯定する人間は少なくとも空手部にはいないと信じたい。

 隙を突いて突破し、壇上から飛び下りて走る。が、状況は好転しない。その他の覆面たちが起き上がり始めていたせいで自然と包囲されてしまった。距離の近い覆面たちは私たちに気が付くと驚いた様子で離れて円に築いていき、壁は厚くなっていく。

 少しでも隙のある今のうちに逃げ出さなくては。コーヘーは不服だろうけれど、抱えている押風くんがぐったりとしている今なら従うはずだ。

「大丈夫? 助けに来たよお!」

 千爽が吹き飛ばした入口へ向け一歩踏み出すと、豊くんの巨体が脱出口を塞いだ。その後ろで腰にしがみつく形で美朱も隠れている。

 その美朱は気づいたようだけれど、豊くんは脇にいる覆面に気づかずドシドシと固い床を軋ませて前へ進み、こっちへ近づいてきた。仕方なく美朱もそれについて動き、いよいよ包囲は完成してしまった。

 美朱と豊くんの二人まで連れて逃げ出すことは不可能だ。かといって庇いながら戦うことも得策とは言えない。

「え、なんかマズかった?」

 豊くんは贅肉のせいで表情が動かないのでまるで動じていないように見える。一方美朱は充分理解しているようで辺りを見回しながらうろたえている。

「ホラ! だから先生が来るまで待たなきゃ危ないって言ったじゃん! でもほっとくわけにもいかないし、あー! もう、なんかされたらアンタ盾になれよ!」

「え、先生呼んだの?」

 こうなってしまうとそれもいいかもしれない。

「うん。旗センセのケータイに留守録とメールでここに来るように言っといた」

「旗先生に直接? ならよかった。ていうかアドレス知ってるんだ」

 まともな先生が来れば覆面たちの正体を暴こうとするはずなので厄介なことになる。その点旗先生なら心配ない。そんな面倒を引き受けるくらいなら見なかったことにするだろう。

「つーか、旗センセこれ見たら帰るんじゃね?」

 美朱も同じ予想にたどり着いた。つまり場はなにも好転しない。

「要らないでしょ別に。全員ぶちのめしてここから出てけばいいだけよ」

 千爽が今度は木刀を構え力んでいる。完全に頭に血が上っている。

 覆面たちは思い思いに道具を持ち直している。場所柄かバレーボールやバスケットボールが多いが、拾った竹刀を何人かがまともに構えているせいで余計に千爽の平常心が奪われているようだ。

「誰にそそのかされたのか知らないけど、死ぬほど根性叩き直してやる」

 千爽には悪いけれど、匿名の集まりであるからにはきっと自主的に参加しているはずだ。正常な判断力かどうかまではわからないけれど。

「お願いだからやめて。さっきので無謀だってわかったでしょ」

「だったら他にどうすんの。ここから血を見ずに済ます方法があるなら教えてよ」

 間近に見る千爽は眼を見開き鬼気迫る凄みを放っていた。挑んでもどうにもならないのはわかっているのに、どうして動き出せるのか。私は竦んでしまう。

「することは、することはあるよ」

 私は千爽の腕を掴んで抑えたまま首を振り返ってコーヘーを見た。

「ねえ、コーヘー。もう諦めようぜ。これは無理だったんだよ」

 豊くんの肩に押風くんを乗せていたコーヘーは目を丸くして驚きを見せた。この期に及んでそう言われるとはまったく思っていなかったのだろう。そういう奴だ。まるでブレがない。私とは違う。

《いいですね。ぜひ説得をお願いします。初めからそうしていればよかったんです》

 機械音声に応援されて目に涙が滲んだ。誰の味方かわからないくらい、私はブレまくっている。

「初めからなんて、そんなのやれるわけない」

 洞貫幸平。いつも近くにいるくせに何を考えているかわからない幼馴染。衰え知らずの行動力はけっして自分に正義があると信じているからではなく、疑問や不自然に対して大真面目に直面しようとしているだけだ。他人が有耶無耶で済ますところで立ち止まらない。

 昔を思い出す。「学校でうんこができるようになったぞ」と、そんな馬鹿馬鹿しい宣言を満面の笑みでする、そんなコーヘーと一度でいいから同じ景色を見てみたかった。それが今回も果たせない。

 コーヘーに自分は同等だと胸を張れる何かが私には無い。憧れが強いだけにいつも自分が惨めでならなかった。コーヘーは成し遂げるまで直進できる人間で、私はあっけなく諦めてしまう人間だ。畑ひとつ以上の差があるから、同じ場所にいるとはとても思えなかった。

「この状況は危険そのものだが、抵抗勢力と話ができる良いチャンスだと思うが? お前も今のままでは困るだろう」

 確かに私は困っている。いっそ諦められたらと思うけれども、今以上の自分を望んでもなれないのと同じで気持ち一つ違う別の自分にもなれなかった。

「胸の大きさで困るかなんて、そんなの自分じゃ決められないの。たった一人……大切な人にどう思われるかどうかってことだけが誰にだって唯一意味があるんだよ。どんなに自分で自信を持ってたって、どんなにその他大勢から褒められたって、そんなの全然意味無い」

「その大切な人物が、何者にも影響されない価値観を形成していると断言できるか? 現在の巨乳至上主義の社会の中で他者の眼を憚ることなくお前のことを見ると断言できるか?」

「そんなに胸のことばっかり気にされる関係なんて、例え付き合ってるとしても悲し過ぎるよ」

 それに関する悲劇については美朱から聞かされている。

「ああ、その誰かはきっとお前の様々な面を好きになるだろう。それができる人物でないなら選ぶべきではない。となると乳のサイズなどは些細な問題だ」

「だったら――」

「しかし! 『流行は巨乳だけど、個人的な好みも巨乳だけど、それはそれとしてお前のこと好きだよ』などと言われてお前は心から納得できるか? 無理だそんなことは。『この人私のこと好きって言ってくれるけど、胸の大きさについては我慢してるんだ』と意識が必ずついて回る。それでは駄目だ。風潮と価値観が破壊されなくては安心できない」

「違う、そうじゃない! 本当に好きならその人の何もかも好きになるんだよ。その人がとんでもない問題児だったり、おっぱいのことしか考えてなくっても、好きになっちゃったら、もう好きなんだよ。コンプレックス? それが何? 好きだったらそれくらい耐えられるに決まってる」

「耐えなければいけないこと自体が間違いだとなぜわからん。好きな相手の一部を欠点のように感じるなんて、それで正しいはずがない」

 どうして私はこんなわからず屋を選んでしまったのだろう。

《やはり言葉での説得は無理ですか。では》

 覆面の輪のあちこちからバレーボールが放たれた。いくつかは私と千爽とコーヘーで払い落としたけれど、ひとつが豊くんに命中する。

「大丈夫、大して痛くはない……けどちょっとおっかないねえ」

 豊くんの言う通りだ。いつまでも続けてられない。早くこの状況を打開しなければ。

「あー、もう! 旗センセ早く来てってば!」

 美朱が携帯電話に向かって怒鳴りつける。と、どこからか電子音が聞こえてきた。ピピピと鳴る、ごく普通の着信音だ。館内放送のスピーカーからではなく、覆面の輪の一部から聞こえてくる。

 よく見れば他より抜けて背の高い覆面がいて、慌てた様子で懐をゴソゴソといじると着信音は止まった。それを不審に見る美朱が携帯電話のボタンを押すと、また同じ人物から着信音が聞こえてくる。

「ああっ、んだよくそったれ!」

 忌々しげに舌打ちしながら覆面が床に脱ぎ捨てられると、やはり旗先生だった。紛れ込まれていた覆面たちは動揺し、声を出してざわつき彼から離れる。

「マナーモードの切り替えは忘れずに。やっぱり大事だな携帯電話マナー!」

「旗先生、なんでここに?」

「女子生徒たちが怪しい動きをしてるのはわかってたんでな。こっち側を手伝えば早く終わると思ったんだよ。洞貫、テメーしつこ過ぎるぞ! 暴力には屈しろよ危ないだろうが」

「それが教師のやることか!」

「生徒の身の安全を憂慮して何が悪いんだよ」

 旗先生の主張には呆れるばかりだけれど、これでようやく状況が変化した。

 例え当人が積極的に関わるつもりでなくても大人の眼がこの場にあることで匿名希望たちは行動を改めざるを得ない。

 でなければいっそ――。

「んがっ」

 怖れたそのままの行動が目の前で行われた。

 後ろから石膏像で殴られた旗先生が卒倒する。邪魔者が表れたのなら排除すればいい。シンプルな解決法だ。

「ええ、そんな!」

 先生さえ来れば解決する、美朱はそう思っていたようで悲鳴を上げた。

「こいつら、とっくにとことんまでやる覚悟で集まってんのよ。ほら、見てこれ」

 コーヘーの首を掴んで顔を見せつけると顎を引いて困り顔になる。

「だってそいつは犯人なんだからしょうがないじゃん」

「犯人って……一応言っとくけど、この連中は美朱のことも同じ目に遭わせるつもり――ってなんで今更驚いてんのよ。こっちがびっくりだわ」

「えーだって、あんた強いんだから私のこと一番に守ってよね!」

「自分の王子様がそっちにいるでしょうが。っていうか籏先生、あれ関わるの面倒だから気絶したフリしてるだけできっと意識あるよ」

「うわ! なにアレちょっとずつ外に動いてる。卑怯者! 無責任!」

 大騒ぎする美朱を陽動にして、私は素早く静かに駆け出した。籏先生に向かっているけれど、彼を目指しているわけじゃあない。狙いは彼の周りだけ薄くなった包囲網。そこをこじ開けることができれば、幸い壁の出入口にも近い。活路はそこだけだ。

 ついてこい。半身振り返って腕を振る。私の意図は伝わったようで、特に千爽の反応は早かった。

 さすが頼もしい私の親友。つい嬉しくなって頬が緩んでしまう。場違いな気持ちで前へ向きを戻した首に、何か固いものが激突した。

 白む視界で天地の感覚を失いながら、痛みに体を丸める。思えばあとに続いた千爽は私に何か訴えかけようとしていたようだった。

「筋の違う振る舞いをするな。恥を知れぃ!」

 降って来た怒号は、校長の声だった。よろめきながら起き上がると間違いなく校長の巨体が立ち塞がっている。

「何をする! 血迷ったか校長!」

「来たばっかりにしても状況見ればやっつける相手が違うのはわかるでしょうが!」

 周りにコーヘーや千爽が集まってきた。未だに目の前がチカチカするのが気になるばかりで何が起きたのか掴めない。

「大丈夫か? 血は出てないな」

「あー……とっさだったから自信ないけど、多分首捻って直撃避けた? から平気だと思う」

 顔と背中が痛むけれど、大して続くものではなかった。肌に熱も帯びていないのでこの分なら腫れずに済むだろう。

「つまり回避しなければ無事には済まなかったということか」

 コーヘーは眼差しと声色に直視すればたじろぐほどの迫力を纏った。正体不明に対して憤ることは多いコーヘーだけれどこうして怒っているところは見たことがない。私の為にそんな風に心を動かしてくれることが嬉しいのに、今は小さな感動に浸ってもいられなかった。

「待って、落ち着いて。まずは理由を聞こうぜ」

 コーヘーの腕にすがって立ち上り、校長を見上げる。聳え立つ仁王立ちは女子生徒を殴ったあととは思わせないほど堂々としていた。

「なぜ殴られたのか、その理由を説明して下さい」

「知れたこと、姑息極まる振る舞いを見れば手も出ようというもの」

「姑息?」

「なぜその問いかける姿勢を彼らに対した時にはやめてしまった? なぜ『助けてくれ』『出してくれ』と彼らに請い続けなかった? 通じる相手でないと言うならば、なぜ儂相手にはまた持ち出した? 懸命でいることを弁解にして無自覚でいるのならば言ってわからせてくれる。それは貴様が儂には敵わぬと思ったからよ。叩いて突破できるならば今もそうしておったはずだ。相手に対して姿勢を変える、これを姑息と呼ばずしてなんと呼ぶ。恥を知れぃ!」

 私は今回の騒動に際して会議を開いて話し合いで解決する道を選んだ。それを貫けということだろうか。

「その為に暴力を受け入れろということですか?」

「弁によって進む道を選んだのならば、弁を置いて他に屈してはならぬと心せよ。貴様は暴力に屈した。暴力から逃げ、暴力を選んだのだ。そのような者の言葉になど誰が耳を傾ける? 通じぬと知れば殴りかかってくるような者の言葉を、誰が心に受け止める!」

 潔癖な姿勢はコーヘーに近しいものを感じた。

「イヤイヤイヤイヤ! 教師が生徒に暴力を奮うのは問題なんじゃね?」

 私の代わりに食ってかかったのは美朱だ。

「なんか偉そうに語ってるけどアンタ生徒殴ったじゃん。指導なんて言い繕ったって、あとで絶対問題にすっからね!」

「承知の上! 言うまでもなく暴力を必要とする教育は未熟であろう。だが儂は真なる教育に未だ至らぬまさに未熟。であれば己が高潔である為に無欠の教育者と成るまでの期間、迷う者を成す術無く見捨て続けなければならぬのか? 否! 真理は問わぬ、正しさは求めず儂は動く。諸君らが己を律するためにそれが必要となるならば、儂は喜んで諸君らのトラウマと成ろう! 不埒な教育者として血塗れで地獄に落ちるを受容するとも!」

「は、ええっ? はぁ?」

 美朱は校長の言うことを理解しているわけではなさそうだけれど、とにかく迫力負けしている。

「先延ばしも許さないってわけですか」

「それは、儂よりもこの者らが許さんであろうて」

 周回しながら円陣を整えている覆面たち。私は彼女たちに暴力で立ち向かったが、それは薄い部分を狙って突きここから逃げようとしただけのことだ。また同じことをするなら今度は校長もろとも捻じ伏せなければならなくなった。到底できない。

 逆に彼女たちが継続する暴力については校長はきっと干渉しない。自分が殴られても抵抗はしないだろう。それが今回の騒動を起こした、校長を含む私たちの責任だからだ。その姿勢は見方によっては正しいとも言えると思う。

(……いいと思う)

 なにより私が校長に共感するところは、目的の為ならそんな正しさは掃き捨てる点だ。

 一度緩めた拳を握り、膝を溜めて校長を見上げる。今度は標的として。

「ご指導痛み入りました。でもごめんなさい」

 コーヘーを自由にする。それを今の私の標榜に掲げる。ずっとコーヘーの好きにさせて、いつか世の中のどこにもひっかかりを感じることがなくなったら、その時コーヘーは私のことを見てくれるかもしれないから。

「だから……これが私の徹頭徹尾!」

 私が飛び上がるより早く大きな拳が振ってくる。躊躇いが無いところまで予測通りだ。固く締まった小指を側面から裏拳で迎え撃って叩き、回転しながら床を蹴って跳ぶ。体勢が崩れて無防備になった首筋にたっぷり遠心力をつけた一撃を叩き込む――つもりが足刀は空を切った。

 服の裾をコーヘーに掴まれていた。引き戻す力で慣性が打ち消される。空中姿勢が崩れて受身を取れず床に叩きつけられる。

「もう! 邪魔しないで――」

 強かにぶつけた背中をさすりながら体を起こすと、コーヘーはワックスの板張りに額をこすり付けて頭を下げていた。

「すまん! この通りだ!」

「いや、痛かったけどそこまでしなくても――」

 言いかけたところでその謝罪が私に向けてのものでないと気が付く。

「お前たちの言い分はわかっているつもりだ。平等が実現すると信じられずその為の痛みも耐えがたいと思うのならば俺たちを黙らせようと考えるのは当然のこと。強引な手段に出たのもそれだけ想い強いからこそと理解する。だが、わかったうえで頼む。堪えてくれ! 地球上の全員に反対されても、俺は必ずこれを成し遂げなければならない。やめるわけにはいかない!」

 唖然とする。

 コーヘーが毎度騒動を起こす理由は当人の不理解に因るものだと思っていた。自分の目に入った問題が誰からも無関心に置かれている理由、表沙汰にすることを反対される理由、それらに納得がいかないからこそ、無神経に行動できるのだと。

「反対されるって……わかってるならどうしてやるの?」

 誰憚ることことなくぽんぽんと頭の中身を口にするコーヘーには珍しく、沈黙が生まれた。青褪めて見えるまでに思いつめた顔でじっと私を見つめる。

「それは……お前を幸せにしたいからだ。ナオ」

 また言葉を失った。コーヘーは続ける。

「お前は言った。お前が見込んだたった一人の相手だけがお前の価値を左右できると。『その他大勢』である俺はその閣議決定に関与できない」

 苦しげな顔をする。今日だけでも散々だったというのに、私は今ここで初めてコーヘーの辛そうな顔を見た気がした。

「どれだけ望んでも俺がお前を幸せにすることは不可能だ。それはお前が望むたった一人だけがすべきことだから。だが、お前は幸せにならなくてはならない。『俺が』そうしてやりたいと望んでいる。ならばどうすればいい? 俺になにができる? 考え抜いた結果、俺は世界中をお前にとって都合のいい形に変えると決めた」

 何を言っているのかよくわからない。けれども苦痛の表情から真剣であることだけは伝わった。

「なんでそんなこと……? なんで、オレのこと幸せにしたいなんて思うのよ」

「それは俺がお前のことを好きだからだ、ナオ。世の中に存在するお前を傷つけるものを一つ残らず見つけ出し、一つあまさず徹底的に叩いて平らにしなくては気が済まないほど、どうしようもないくらいお前を愛している。それができない俺は死ねばいい。だがどうか頼む、ナオ。俺に死ねとは言わないでくれ。今俺にこの生き方を『やめろ』と言うのはそれに等しいことだ」

 浸って、一瞬この状況を忘れてしまいそうになった。と思ったら実際数秒硬直していたようで、千爽に肩を叩かれてハッと気がついた。千爽は私が放心していると気づいて覚ましたかっただけらしく、眼は私でなくコーヘーを向いていた。

「じゃあなにさ大将、あんたは『自分が惚れた女が貧乳と悪く言われるのが許せない』ってだけの理由でこの大騒ぎを起こした。まとめるとこういうこと?」

 細めた目は嫌悪で持って目標を射抜いている。コーヘーはその当たりの機微を感じ取る情緒が無いので堂々としていた。

「騒ぎについては本意ではないが、要点は指摘の通りだ。今回に限らず俺はずっとそれだ。洞貫幸平は山切奈緒の為に行動する――そういう風に生きる生き物だ」

 強く肯定されても腑に落ちない。私が知っているのは自分勝手に暴走するコーヘーで、私を愛するコーヘーなんて知らない。全てを忘れ二人の世界に埋もれてしまうには不可解な点が多過ぎる。

「そんなの嘘! だってあんたが今までやってきたってことって、全然オレに関係ないもん! トイレの……自由な使い方のどの辺が私の為だったって言うの?」

 窮地に陥って苦しい言い逃れをしようとしている。そんな風に思い込むこともできなかった。それこそコーヘーらしくない。

 一方でそれを真実と受け止めて、諸手を挙げて歓迎したい気持ちもあった。今この状況でも、これよりも更に酷かったとしても、私には「コーヘーにどう思われているか」が最重要に大切な一つのことだ。

「いつ始まったという自覚は持たない。俺たちがいつから身近にいるのか、自分では記憶していないのと同様にな。俺の一生にはお前が不可欠、そんなことは今更検証の必要もないことだ」

 土下座を解いて正座に移ったコーヘーはいつもと変わらない大真面目で、嘘や冗談を言っているようにはとても見えなかった。そうした一種の知性からコーヘーは縁遠い。

「昔の俺は当然お前も同じ気持ちでいると思っていた。しかしそうではないと知ったのを〝自覚した時〟とするなら、それは小学校に上がった時だ」

 それはきっと、私も覚えているランドセルの色など男女分けに反発した最初の事件のことだ。

「男と女を別にしようとする働きが社会にあることを知った時、俺は死に物狂いで抵抗した。お前と離れ離れになるのが嫌だったからだ。だがお前は、そんな俺のことを不思議そうに見ていたな。心の底から恐怖したよ。俺とお前は違う個人だということを深く思い知らされた」

 当時の出来事をよくよく思い返してみれば、単に私と離れたくないと言っていただけのような気もしてきた。あやふやだけれど、当時6才のコーヘーにそれ以外なにができただろう。

「トイレの件は言うな。あれは女子用のトイレは全部個室だとは知らずに、お前が俺と同じように水をかけられたら困ると思ってやったことだ。途中で見たはずなんだが、我を忘れていて気付かなかった。まったく……なんだってそんなことを憶えているんだ」

 平等の為に戦う。それはコーヘーのライフワークで、だからその一つ一つの事件はコーヘーにとっては功績であり勝利というふうに私は認識していた。それが今、当人の口から行き当たりばったりであったかのように語られている。

「部活の備品を入れ替えたのは……私が文化部にいぢめられないように?」

「ああ、選択授業で茶道だとか書道だとかがあるだろ。その時になにか起きるかもしれないと不安だった」

 私への過保護の結果が数々の騒動だった。そういうことらしい。今回の件については改めて確認するまでも無い。騒ぎになる前にコーヘーは私のところにも貧乳の実害状況を聞き取りに来ている。

「こんなことは話し明かすだけ惨めな未練と執着だ。俺は何も『例え選ばれないとしても』と美しい無償の愛で尽くしているんじゃあない。鬱陶しいものを省き人生を不満なく満たすことでナオが誰かの手を必要とすることがなければ、いつか俺のことを見てくれる日が来るかもしれない。そう期待する下心あってのことだ。我が事ながら浅ましく陰険で吐き気がする。お前の言うように、畑一つの断絶を受け入れるべきだとわかってはいる。わかってはいるんだが」

 コーヘーが俯いているせいで視線は合わず、今どんな顔をしているかを見ることはできない。きっと苦しげにしていることは声音でわかる。その心を楽にする方法を知っているのに、私はただ黙って見下ろしていた。

(同じこと考えてたなんて)

 コーヘーが私のことで想い苦しんでいる、悩みを知ってゾクゾクと鳥肌を立て快感に酔いしれた。コーヘーが今味わっている、それ以上の後ろ暗さとわかっていながら私のほうは自己嫌悪は微塵も沸かない。コーヘーが迷っている、それだけの影響を与える人物が自分であることが――コーヘーにとって自分が〝その他大勢〟でないことが心の底から嬉しい。

《つまり山切さんがコンプレックスに苦しむことがなければあなたは大人しくなるということですか》

 疑いがどうだ状況がどうだと言ったところで、結局のところ私はお花畑の世界に浸っていたらしい。機械音声の言葉を聞いて覆面たちの気配が変わったことに気がつかなかった。

「そうだ。だがそれがむず――ぐっ」

《なら手伝ってあげます》

 コーヘーの顔面が床に激突する。後ろから腕を捻って押さえつけられていた。しっかりと肩関節が決まっていて、あれでは腕力に差があっても振り解けない。

 味方は他も同じような目に遭っていた。

 豊くんは取り囲まれ小さく手を挙げた格好で取り囲まれて、美朱はその肩によじ登り首にしがみ付いた。その弾みで豊くんの肩から落ちた押風くんを気にして、丸腰の千爽もすぐに羽交い絞めに拘束された。

「テメー、あっさり降参してんじゃねーよ! 男なら戦え!」

「無茶言わないでよぉ、僕は何の意外性も無い動けないデブなんだから」

 私だけが自由でいる理由はなにかと思えば、すぐに千爽も開放された。私のいる方へと背中を押されてつんのめり、周囲を睨む。

「なんだっつうの。私らだけ嬲り殺しにしようってんならいくらでもやったんぞ、オラ!」

 千爽はまだ盛んに猛っていて実力行使を続ける意思を残している。それほど判断力を失わせる原因になっているのは、頻繁に視線を送っている先にある押風くんに他ならない。私もコーヘーが人質に取られた時にはそうだった。

《万畳さん、山切さんを裸に剥いてください》

 機械音声の要求に耳を疑った。

《あるかもわからないコンプレックスを洞貫くんが気にするのなら、山切さんにはそれも覆い隠すくらい大きなトラウマをあげましょう。押風くんが納得するまで裸で町を練り歩いてもらいます》

「ハァ? アンタら馬鹿じゃねえの!」

 美朱が騒いだだけでざわつきは生まれなかった。機械音声の主が急な思い付きを言っているわけではなさそうだ。初めから計画されている。

《もう一度言います。万畳さん、山切さんを裸にしてください。それができたらあなたを含めて他の人たちは解放しましょう。ついて来て見物したいというのなら勝手ですが、その場合あなたも身元を隠したほうがいいでしょう》

 千爽の足元に、彼女たちと同じ覆面の衣装が投げ渡される。

《友人を裏切らせてあなたを試そうという意図はないです。我々は初めからあなたは仲間だと認識しています。どうしてもできないというのなら、仲間が代わります。あなたは見過ごすだけでいい》

 私は今からフルヌードでパレードをさせられるらしい。あまりに突拍子の無いことで唖然としてしまって反応することができずにいた。けれど千爽のほうは幾らか真剣に受け止めたようだ。顔色が蒼白になっている。

「これはさすがに見過ごせぬわ!」

 ずっと事態を見守っていた校長が動き出した。が、腕組みを解いたその途端に縦横から覆面に飛び掛かられて封じられる。翻弄されて一歩も前へ進むことができていない。最初に気付いた五人意外にも精鋭はいるようだった。

「やめろ! それはただの復讐だ! やり返したいなら矛先を俺以外に向けるな!」

 コーヘーも精一杯の抵抗をしている。両手足を何人もに押さえつけられ背中に乗られていながら、その連中が揺らいでバランスを失うほどにもがき続けている。その度金属バッドで打たれて元通り床に貼り付けになった。

《違います。あなたを痛めつけたところで意味がないことはもう理解しています。だから他を叩いておく、予防策です》

 目的なのか、手段なのか、コーヘーに罪悪感を植えつける狙いで言っている。

「わかった――やめる! もう二度とお前たちに関わる問題には手を付けない! だから、頼むやめてくれ!」

《追い詰められてやっと動く口先なんて信用できない。これはその為の保証です。自分の行動がどういう事態を招いたか、今度はそれを忘れるな》

 私に近付く千爽の足が重いのは見ていてわかる。

「ごめん、私は押風くんを助けたい」

 罪悪感は飛び火している。

「余計な抵抗はしないで。取っ組み合いになったらあんたは私に勝てないし、この状況じゃ他にどうすることもできない。そうでしょ。もう早く終わらせましょう」

 泣きそうな顔でそんなことを言う親友に嫌な感情を抱くはずがない。

 私は堪えられなくなって下を向いた。

「っぷ――ククク」

 抑え切れずに笑いがこぼれる。腹を手で押えて屈み込んでもダメだった。もうこれ以上は耐えていられない。

「ヒィー……あー、ごめんなさい。落ち着くまで待って。時間かかると思うけど。ぐふっ」

《今からストリップショーをするというのに頭でもおかしくなったんですか》

 無理もないけれど、全員の視線が私に集まっていた。千爽や校長までが捧立ちしている。機械音声や覆面は感情が読めないけれど全員怪訝な顔をしていることだろう。

 もちろん私は正常で、これは私にとって正常な反応だ。状況が状況だけになかなか実感できなかったけれど、やっと追いついてきた。笑いが止まらない。

「ほんと、ごめんなさい。もう振り返ってみたらこの言葉しかないわ、〝ごめんなさい〟」

《あなたが謝っても無駄です。止められません》

「いや、もういいんだって。だってもう終わってるから。終了! 全面解決、みなさんお疲れ様でした!」

「ねえあんた、なんでさっきから笑って……っていうかなんでそんなテンション高いの?」

 近くに来ていた千爽は心配そうにしている。誰もわからないらしい。今日は色々あったけれど、私にとってのトップニュースはコーヘーが私を「愛している」と言ったことだ。それ以外は何もかもが霞む。

「なんでって? だって嬉しかったら笑うでしょ。笑うしかないでしょ。あんたにもたくさん迷惑かけちゃったけど、ごめん、私今幸せいっぱいで申し訳ないとかいう気持ちになれっこないんだ」

 私は裾から制服の中へ手を入れて胸元を掴み、全力で引き裂いた。

「あ、あんた――それ!」

 目の前で千爽が叫ぶ。彼女が指差す先には制服を前へ押し出す立派な私のおっぱいがある。

 しばらく場が静止して、ショックから覚めるのは美朱と豊くんが早かった。

「あー、ボインだ」

「隠れ巨乳……つーかこの場合隠し巨乳?」

 そう、私はサラシで胸を潰し、バストサイズをごまかしてずっと過ごしきた。

 小学校に上がって初めて〝男女別〟に触れたコーヘーがごねた時、実を言うと私は私で〝女らしくなるとコーヘーと一緒にいられなくなる〟と思い込みショックを受けた。それが今の今まで癒えずに傷として残っていたのは、私がコーヘーを信じられていなかったからだ。いつか屈して差別を区別と受け入れてしまうんじゃないか、私のそばからいなくなってしまうんじゃないかと不安で仕方がなかった。

「なんだこんなケガ、さっさと晒して治しちゃえば良かった」

 コーヘーの気持ちがわかった以上痛みはもう無い。

「ねえコーヘー。ご覧の有様だけど、こんな私でもいい?」

「愛している」

 覆面たちが呆然とするあまりに拘束を免れたコーヘーは体を起こしながら力強く頷く。私が貧乳として非難されることへの怖れがコーヘーの原動力だったのだから、私の胸がこの通りだと知られた今となっては今回の活動が続くことはない。

「むしろ、より強く愛している。今までどうしても言うことができなかったが……俺は大きなおっぱいが好きだ!」

 いきなりのカミングアウトに笑顔が止まった。コーヘーを捕まえていた覆面たちがサッと離れる。

「はぁ?」

「違うんだ、聞いてくれナオ。俺はお前を心から愛している。だが、どうしてか、お前のおっぱいが小さいことだけは気になっていた。おかしいな、そんなはずないと何度自問自答しても返ってくる答えは同じなんだ。俺はどうしようもないくらいお前を愛しているのと同じように、大きなおっぱいのことも愛しているんだ!」

 なんのことはない。会議で例として出てきた「貧乳を我慢しながら私を好きでいる男」とはコーヘーのことだったらしい。

「あほくさ」

「俺は自分のそんな性分が憎くて溜まらなかった。のうのうと巨乳好きであることを公言する、クラスの男子たちが許せなかった。この巨乳偏重の現代の風潮さえ変われば俺も一緒に変化してまっとうにおっぱいの小さいお前を愛することができるかもしれない。今回活動を起こしたのはそういう狙いもあった。だが、お前のおっぱいが大きいとわかった今なんの問題も無いな! おっぱい会議も永久凍結だ! 巨乳偏重万歳! ハッハッハ!」

 高笑いするコーヘーにどう反応していいものか困る。

「ええっと、そういうことらしいけど……どうする?」

 コーヘーが活動を治めるのならもう私たちを閉じ込めておく理由はなくなった。にも関わらず覆面たちは殺気立ち、手に手に武器を持って近付いてくる。

「いやまあ……そりゃそうだよねえ。あーっもう! いい気分だったのに、ムシャクシャ解消しなくちゃ気が済まないのは私も同じ!」

 大きく息を吸い込んで両足を踏ん張る。

 サラシを解いて胸の閊えなく呼吸するのは学校では初めてのことだ。全力で体を動かすこと自体もう何年も無い。今は何もかもを、忘れたいことを積極的に忘れて自由を存分に堪能したい気分だった。

「あー、スッキリした!」

 伸びをして体を振るわせる。久しぶりに清々しい気分だ。

 かかってきた覆面たちを殴る蹴るして残らず返り討ちにして二階のバルコニーに引っ掛け終えると、満足して大きく息を吐く。もろともぶっ飛ばした校長も含めて全部で三十人くらいだろうか。

 放送室にいたはずの人員を始めほとんどは逃げ出してしまったが、それを追いかけてまでとっちめようというつもりはない。もう充分にスッキリした。奪われていた私の携帯電話も放送室で見つけた。

「ああ……そう言えば籏先生に逃げられたね。まあいいか、明日の楽しみにしよう」

 一息ついて振り返ると覆面がまだ一人残っていた。既に臨戦から心が離れていたので冷や汗が出たけれど、よくよく見ればこれは千爽だ。覆面のトンガリを掴んで引っこ抜くと唇を噛み締めて泣いていた。

「裏切り者ぉ……今日の許せないレコードがこれ以上更新されるとは思わなかった。しかもあんたに」

 恨み言は怨念に満ち満ちて握った両拳は下へ突っ張ってぷるぷる震えている。本当に悔しそうだ。

「今までずっと仲間みたいな胸しておいて、私が胸が大きくならないことで悩んでるって話を電話で一晩中聞かせた時も、あの時本心ではあざ笑ってたってことでしょう?」

「あれは引いた。だってこっちにはこっちの事情があったからさ。ほら、千爽だって私に『腹くくれ』って言ってくれたでしょ。これが私のピンクフリルってわけ。どう、似合う?」

「違和感しかないわこの背信者め。穢れた真実を晒すくらいなら一生着ぐるみでいればよかったのに。ちょっと、馴れ馴れしくこっちに近寄らないで。その目障りに膨らんだ異物のサイズの分だけ離れなさい。それがあんたと私の間に出来た壁の厚さで、私の心に出来た傷の深さと思い知れ」

「そこまで嫌われると本当にコーヘーに平等にしてもらったほうがいいんじゃないかって気がする。もうやらないだろうけど」

「簡単に許すわけない。第一、私があんたに腹くくれって言ったのはそんなののことじゃないんだから」

 口を尖らす千爽の目つきは和らぎ、刺々しい空気はいつの間にか失せていた。指差す先では後ろに手をついて脱力したコーヘーが私を見ている。言う通り、私の目標は嘘を告白することではなくそこだ。

「ほれ、行って来い」

「うん……ありがと」

 関係が変わってしまうのかと不安は強かったので千爽の反応は怖かったけれど、私は良い友達を持った。

「いいから行きなって。私は私で……あとであんたに相談に乗ってもらわないと、その、困るんだから」

 照れくさそうに早口で言って押風くんのほうへ駆けていく。

 私の親友は可愛い。とついニヤニヤして見ていたら振り返って睨まれてしまった。足元へ向けた指を回す動作は空手審判の〝逃避行為〟に対するジェスチャーだ。おっしゃる通り。

「あー大丈夫? ……って、大丈夫そうね。ほんと呆れるくらい頑丈だこと」

 近づいて声をかけると、コーヘーはハッと気が付き瞳に力を戻して自力で立ち上がった。訝しげにする様子を隠そうともしていない。

「なんというか……どうしようもなくどちら様感が漂うな。大歓迎だが」

「やー、それはまあしょうがないと思うけど。そんなにジロジロ見ないで」

「ああ、スマン。セクハラか。善処する」

「とりあえずここ出よう。人集まってくるかもしれないし。バルコニーの連中は校長もいるし、ほっといても旗先生が一番面倒が起こらないようにしてくれるでしょ。なんだかんだ言ったってあの人も当事者だもんね」

 連れ立って体育館の正面出入り口に移動すると、自然千爽と押風くんに合流する形になった。

「あっ、お疲れっス――ハァぁっ?」

 ダメージの影響かぼけっとしていた押風くんが私の胸を二度見して驚きの声を上げた。

「打ち身? なんスか、それなんて病気っスか?」

「はいはい、あんたはいいからさっさと保健室」

「いや違うんスよ? 俺は万畳さんのほうが――イデデ!」

「そういうこと言ってるわけじゃない!」

 千爽は肩を借していた押風くんをそのままの格好で締め上げる。これでは介助しているのか痛めつけているのかわからない。

「で、あんたら付き合うことにしたの?」

 唐突に、千爽が直球な質問をぶつけてきて飛び上がりそうになった。意地悪そうな顔をしている。ちょっとした仕返しのつもりだろう。

「いや、そういう話はここではまだでしょうが。そっちこそどうなのよ」

「ナァっ? それこそまだだっつーの。そういやあいつらどこ行った?」

 照れ隠しに赤くした顔を振って辺りを見回す。私の親友は可愛い。

 そういえば美朱と豊くんはどうしているだろう。先に体育館を出ていたようで中には見かけなかった。

 と、遠くを見れば建物の影からこちらの様子を伺う怪しい突起があった。美朱の乳と豊くんの腹だ。

「なんでそんな離れてるの」

「なんでってそりゃ、お邪魔しないほうがいいじゃん? 私らちょっと今活動してる部活回ってさっきのに参加してたメンバー特定してくっから。このあと反撃されたら嫌だかんね」

「あっ、それはやめて。特定はダメだよ。あの連中匿名のままにしとかないと引っ込みつけられなくなるから」

「わかってるって。どうせ全員が完全にわかるわけじゃないから、わざとらしく覗いて回って表向き調査した感じで黙っとけば、一応連中の弱味にもなるし『こっちはこれ以上騒ぐつもりが無い』っていうアピールにもなるじゃん? 平和の為の抑止力ってやつ」

「もう、そんな物騒な備えなんか要らないってば。また襲いかかってきたら光の速さで殴ればいいんだから」

「アンタらはそれでいいだろね」

「いやいやいや、私をこんな化け物と一緒にしないでよね」

 横から口を挟んだ千爽の言いように傷つく。どちらかといえば千爽の神業染みた曲芸のほうが人間離れしていると思う。

「えー、ひどいー。ずっと我慢してたから、ちょっとハメを外しただけなのに」

「あんたが外れてんのは〝桁〟よ」

「ハイハイ、ハメようがなにしようが好きにしてちょーだい。私は自分で身を守れるようにしたいし、毒殺されるあんたらなんか見たくないってワケ。……んじゃあこれでどう? 私は友達を作りに行ってきます。あの子たちと、仲良くなんの」

 にんまり企み顔で笑う美朱が本当に友好的な態度で彼女たちと接するかは大いに疑わしい。しかし隣のコーヘーは満足そうにうんうんと感慨深げに頷いていた。

「ナオが虐げられる少数派で無いとわかった今となっては限りなく重要度が低いものの、両派が調和の意思を持つことはとりあえず良いことだ。この流れは歓迎すべきことじゃないか?」

「ああもう、そうねーホントソウネー」

 あれこれ気にしているのは私だけなのかもしれない。そう思うと途端に心配は徒労に思えてめげた。

 それに、美朱自身が表面的にでもこれだけ楽しそうにしているのに水を差すのは心苦しかった。今日会議を始めた時の仏頂面からすれば驚くべき変化だ。

 もう、美朱が無茶をするようなら止めてくれるだろうという期待で豊くんに責任を押し付けてしまおう。

「んじゃま、行ってくるからまた明日ねー」

「ばいばーい。末永く爆発しろー」

 二人を見送り手を振る腕に力が入らない。今日はもう元気を使い切ってしまった。千爽には悪いけれどコーヘーとのことは後日に見送ろう。

「なあ、豊が言った『爆発しろ』とはどういう意味だ?」

 私が疲労感に支配されている間、コーヘーが押風くんに質問をしていた。

「ああ、『リア充爆発しろ』って、ネットスラングっスよ」

 コーヘーの眉間に皺が寄るのに気が付いてももう遅い。

「〝リア充〟はネットにしか居場所がないと思ってる連中が現実で楽しんでる人間がネットに入ってくるのを嫌って『リアルで充分楽しめるのにこっち来るな』って言ったのが転じて、今ではほとんどの場合カップルとか彼女・彼氏持ちを指す言葉になってるっス。爆発しろってのは言葉のまんま妬みの――」

 私が止める前に押風くんの講釈はコーヘーによって遮られた。襟首を掴む手は憤りでワナワナと震え、見開いた眼で凄む距離と圧力で押風くんを見据えている。

「それならばさっきの豊は誤解していただけにしても、いつかナオがどこかの馬の骨と結ばれた時、イカレたネット民族に爆破される危険があるということか?」

「いやそれはものの例えで……」

「同等の悪意を向けられるということだろうが!」

 あまりの剣幕に押風くんは舌を引っ込めてしまった。これでなにもかもが振り出しに戻った気がする。

「ほら来た、どうするボインの幼馴染」

 千爽に解決を促されて頭を抱える。

「えーっとお……じゃあまず会議を検証して、カップルに回したアンケートを集計した結果を検証して……っていうかこの馬鹿私のこと全然気付いてないし、ってもう――」

《いい加減にしろ!》

 千爽と声が重なって、前後からコーヘーに拳がめり込む。

 白目を剥いて昏倒するコーヘーを見て、最初からこうしていればよかっただけの、何もかもが骨折り損に思えてうんざりした。

 家に帰ってゆっくりお湯に浸かると体のあちこちに痣が浮き出てきた。興奮状態から冷めてみれば現れた痛みとは逆に、今日一日の出来事が夢だったかのように思える。

「って言うかそう思いたい……なんかとんでもないことしたような」

 今まで意識して男っぽく振る舞ってはきたけれど、今日のはただの狼藉者だ。

「それに次からどうやって顔合わせたらいいんだよー」

 お湯を掬ってぱちゃぱちゃ顔に浴びせる。顔が水温より熱く感じるのはのぼせているせいとは違う。

「こっちの片想いだと思ってたのに向こうも片想い? あいつわけわかんない」

 自分も螺子くれていることはよくよくわかってはいるけれど、今はどちらにも向き合う気力が無い。

「じーちゃーん、軟膏借りるねー」

 風呂を出て着替え、夕焼けで赤く染まる畑に出ている祖父に声をかける。

 家でだけゆったりしていられたこの状態で、明日からは学校でも過ごせるその点だけは気が楽になる。さすがに下着はつけないといけないだろうけれど。

 自室に戻ってストレッチで体を伸ばしながら祖父特製の軟膏を痣に塗り込んでいると携帯電話が鳴った。表示を確かめてから通話ボタンを押す。千爽からだ。

「今日はお疲れ様。どうしたの? はあ……コーヘーなら家に放り込んできたけど。ううん、まだ話してない。いや多分今もまだ失神してるって。無理やり起こしてから告白しろってこと? 私どこの王子様なのよそれ」

 電話口の向こうの声が陰気にぶちぶちと恨めしい調子で続いているのは、きっとそのまま愚痴を言いたいだけのことで、私はそれに付き合うのも楽しく感じられた。

 そう感じているのは私だけの気のせいかもしれないけれど、千爽と以前よりも気持ちよく胸の内を晒し合える気がした。

「ああそうだ、私下着買いに行かなきゃいけないんだよ。ブラジャーの数が足りなくって。慣れてないし一緒してくんない? 美朱も誘ってさー。え? だったらあんたも買えばいいじゃん。押風くん用に色っぽいスポーツブラ。アハハ、ごめんごめん。えっ! なにあんた、もうデートの約束してるの? はやっ! 尻軽っ! ……冗談だってば、怒らないでよ」

 今日一日だけでも随分苦労した気はするけれど、私の前には乗り越えなければならない本命がまだ残っている。その山に挑戦する心の準備が出来上がるのを待つ間に、多分コーヘーはまた次の問題を起こす。その堂々巡りの中で私は追いつけるのだろうか。

「いやー、付き合ってもないのに、それはキツイでしょー。オムツ締めて並んでた相手に下着を見立ててもらうってだけでなんかわけわかんないし。そうそう、幼馴染だからね。畑一つ間にあるけど。えー、いやいやオムツはしてないサラシだけだって」

 ――オオオオォォァアアア――

 突然聞き慣れた声の雄叫びが聞こえて、窓を開けて外を眺めた。何事かを確認して、一度離した携帯電話を耳元へ戻す。

「ああいや、なんでもない。ただ思ったより早くなりそうってだけの話」

 開け放たれた隣家の二階窓と、畑に突き立った物干し竿と下半身。高速で動く私の王子様も対面速度になれば一瞬で接触できるかもしれない。

「わーお……ごめんちょっと行ってくる。フリルが喪服になりそう!」

 早速すれ違ってしまわない為に、動転して鍬を構え飛来物に近寄っていく祖父よりも早く、私は一つ目の行動を急がなければならなかった。



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